東北大学大学院法学研究科教授 横田 正顕
1.はじめに
スペイン・ポルトガルは1000㎞に及ぶ陸の国境を接する直接の隣国であるだけでなく、さまざまな歴史的共通点を有している。両国では両大戦間期に起源を持つ独裁体制が半世紀近く存続し、1970年代中葉に民主体制への同時的移行が生じた。その後、両国は1986年1月1日にEC同時加盟を果たし、市場統合や通貨統合を始めとする欧州統合の流れに加わった。また、欧州債務危機に際しては“PIIGS”と呼ばれる問題国家群として浮上し、ともに深刻な景気低迷の中で財政再建を強いられる状況に陥ったことは、人々の記憶にも新しいところである。
両国の民主化に伴い、独裁体制期に地下に潜行していた労働運動は合法化され、政策過程に深く関与する社会的パートナーとして認知されていった。両国における労働政治の決定的転換を集約的に示すのが、社会政策の立法化の取り組みのために制度化された「社会的協調」または「社会協定」の枠組みである。かつての「ネオ・コーポラティズム」とは異なり、現代の社会的協調は、労組が頂上団体を中心に包括的・集権的に組織されていない場合でも社会政策分野で重要な成果を残している。
民主化が両国の労働政治の質的変化をもたらす画期であったとすれば、リーマン・ショックを端緒とする未曾有の経済的収縮、いわゆる「グレート・リセッション」と、今もなお両国の政治・経済・社会を深く規定している緊縮の恒常化は新たな画期となるだろうか。本稿では、両国における労働政治の基本的特徴を描きながら、この点についての暫定的な解釈を示したいと考えている。
2.両国における主要労働組合の配置状況
(1)2大労組の優越
1970年代以来、両国では労働運動内部に走る政治的亀裂を反映して、ともに2大頂上団体を中心に労働運動が組織化されてきた。スペインではUGT(労働者総同盟)とCC.OO(労働者委員会)、ポルトガルではUGT(労働者総同盟)とCGTP-In(労働者総連合会‐インテルシンディカル)が「2大労組」にあたる。スペインには少数派としてカトリック左派系のUSO(労働組合同盟)、地域主義連合であるELSSTV(バスク労働者の連帯)、LAB(民族主義労働者委員会[バスク])、CIG(ガリシア労働組合連合)がある。
スペインのUGTは上記団体のうち最も歴史が古く、PSOE(スペイン社会労働党)との緊密な関係の下に1888年に創設された。フランコ体制期には指導部の海外亡命によって抵抗運動に大きな役割を果たさなかったが、民主化後の再建によって現在では公共部門と金属・建設部門を中心とする11の産業別組合を擁する。一方のCC.OOは、1950 ~ 60年代以降にフランコ体制側の職場委員会への浸透を通じて影響力を拡大し、元来はPCE(スペイン共産党)との関係が深い組織であった。現在では組織労働者の約40%をカバーする11の産業別・地域別労組が加盟する。
1970年代に革命的な体制変動を経験したポルトガルでは、一時期は革命運動の中心にあったPCP(ポルトガル共産党)系のCGPTの影響力が強まったが、これに対抗する形で1978年に創設されたUGTが第2の勢力として台頭した。CGTPには農業、漁業、建設業、商業・サービス業、金属・化学などの広範な部門にわたる10の産業別組合が加盟し、UGTには公務員、技師、銀行員などの6の産業別組合が加盟する。両者は組織力の点で非対称であったが、現在ではCGTPがUGTをやや上回る程度である(組合員数で61万対50万)。
(2)両国労働組合の相違
両国の重要な相違は次の4点である。第1に、スペインに比べてポルトガルの方が2大労組の党派性が強く、従って労組間の潜在的対立要因がより深い。第2に、スペインでは団体交渉システムの分権化がより進行しているが、ポルトガルでは未発達の水平的・垂直的調整の枠組みが存在している。第3に、ポルトガルでは職場委員会が形骸化しており、団体交渉における労組の代表性は手続き的には問題にならないが、スペインでは職場代表を選出する「組合選挙」が
団体交渉権の帰趨を決定する上で重要な役割を果たす。
このような違いから、ポルトガルの社会的協調においはそもそもCGTPのコミットメントが弱く、労働運動への影響力の点で相対的に弱体なUGTが、社会協定の交渉における主導権を握り続けている。一方、現在のスペインでは、社会的協調であれゼネストであれ、重大局面における2大労組の歩調の乱れの方が例外的であり、このような共同歩調が全体としての労組の政治的影響力を増幅してきたと考えられる。
従って第4に、ポルトガルでは労働者組織率が60%近くから急激に下降し、スペインでは逆に8%前後から15%超に上昇した。両国では団体交渉の拡張適用が組合加入の誘因を弱めているが、1980年代以降の社会的協調の実績(加えてスペインの場合には組合選挙の重要性)が組織率の対照的な推移を説明する。結果として両国の組織率は20%弱でほぼ拮抗するが、ポルトガルでは政治からの距離を取り続けるCGTPが最大の「損失」を経験し、スペインでは団体交渉と社会的協調を通じて2大労組の重要性が高まった形である。
3.社会的協調の展開
(1)社会的協調の制度化
民主化後の両国における社会的協調の最初の取り組みは、両国の民主政治がなお不安定な要素を残す1980年代初頭であった。2度のオイル・ショックの影響に伴う深刻な景気後退と、EC加盟を射程に入れた構造調整の取り組みの中で、とりわけポルトガルでは、IMFのスタンドバイ・クレジットを受け入れざるを得ない厳しい状況の下で、雇用問題の解決と経済・財政の再編とを兼ねた包括的な社会経済政策のための枠組みが追求された。
この動きは、スペインにおいては政府と2大労組の他に経営者を組織する頂上団体であるCEOE(スペイン経営者団体連合会)を含む政労使の社会協定として結実した。ポルトガルでは政府と2大労組、そして、政労使間の非公式の交渉を主体とするスペインと対照的に、分立する4つの経営者団体を包摂する政労使のマクロ政策協調の場を提供する公式の制度的枠組みとして、1984年にCPCS(社会的協調常設委員会)が設置されたのである。
(2)社会的協調の挫折と再生
社会的協調の制度化に向けての最初の動きは、1981年にスペインの政労使間で締結された「全国雇用協定」(ANE)とともに始まった。1984年にはCC.OOの交渉離脱を招いたとはいえ、賃金上昇の抑制と金融引き締めを重要な合意内容とする「経済社会協定」(AES)へと発展した。ポルトガルではCPCSの制度化に続く最初の社会協定は、PSD(社会民主党)単独政権下で賃金抑制を主眼として締結された「所得物価協定」(APR87)であった。
両国における社会的協調は、立ち上げの段階から水平的に恒常的枠組みへと移行したわけではない。スペインでは、当時の政権与党PSOE(社会労働党)が、インフレ抑制と並んで有期雇用契約の促進を軸とする労働市場柔軟化戦略に固執したために対話路線が維持し難くなり、1988年に2大労組が組織したゼネストによって途絶した。2大労組と特定政党と歴史的関係も、当時の尖鋭な政労対立を通じて事実上の解消に向かった。
これに対してポルトガルでは、CPCSの枠組みがPS(社会党)とPSDの連立政権下の産物であったこと、また初期の社会協定が構造調整政策の遂行を目的としていたこともあり、当初からCGTPの賛同を得難かった。加えて、1985年に成立したカヴァコ・シルヴァのPSD単独政権は新自由主義的な傾向を露骨に示したために、CGTPばかりか政府寄りのUGTさえも社会協定に対する批判を強め、その意思表示として1988年のゼネストが組織された。
しかし、1990年代初頭のEMS危機に伴う深刻な景気後退は、再び包括的な社会経済政策の策定を必要とし、スペインでは1996年に議会少数派を基盤とする中道右派のPP(人民党)政権の下で、個別的イシューに関する政労使の協定が結ばれるようになった。新たな対話路線の特徴は、もはや所得政策ではなく労働市場政策や社会保障制度の合理化を焦点に展開される点である。PP政権2期目に若干後退するものの、この形は2004年に政権に返り咲いたPSOEによって発展的に継承された。
一方、ポルトガルでは1990年代初頭のEMS危機の煽りを受けてPSD政権が崩壊し、1995年にPS単独政権とって代わった際に、社会的協調の枠組みが利用されるようになった。2002年のPSの下野に伴って成立した中道右派PSD・CDS(民主社会中央党)による連立政権は、安定成長協定違反への対応として厳格な緊縮政策で臨み、労働法の制定による解雇規制の緩和についても敢えて社会協定の枠組みを迂回しようとした。しかし、2005年に再びPSが多数派として政権に返り咲くと、UGTを労組側の主要なパートナーとする社会的協調が再び活性化し始めた。