4.危機の時代の労働政治
(1)政治と労働の蜜月
こうして2000年代中葉までに両国では中道左派政権が再登場し、社会的協調の活用に積極的な姿勢を示し始めていた。ユーロ発足とともに未曽有の好況期に入ったスペインでは、PSOE単独のサパテロ政権の発足と同時に、経済的競争力と生産性、雇用の安定、社会的連帯の強化を掲げる「社会的対話のための宣言」(2004年7月)が成立し、「積極的統合所得」(RAI)を軸とするアクティベーション関連の施策、有期雇用契約の無期雇用契約への転換を促進するための施策、さらにはセイフティ・ネットとしての最低賃金および無拠出型年金の名目支給額の増加などが、社会協定に基づいて整備されていった。
スペインにおける強固な解雇規制はフランコ時代の遺制でもあるが、これに対して労働市場の柔軟化は、有期雇用を中心とする非典型雇用の劇的増大と失業率の高止まり傾向を生み出していた。2007年まで続いた未曽有の好景気は失業率の半減をもたらしたが、建設業や観光業などの未熟練・低生産性部門における有期雇用(および移民労働力)への依存というスペイン経済の構造的脆弱性は未解決であった。しかし、サパテロ政権の施策は概して組合側にも好意的に受け止められ、2008年4月に第2次政権が発足した時にも、労組と政府とは比較的協力的な関係にあった。
ユーロ発足前夜から景気後退が進行しつつあったポルトガルでは、頻発するストライキと並行して労組の政策協調が再開していた。ソクラテスPS単独政権の課題は、2003年労働法の見直しと年金制度改革であったが、これらはUGTの賛同によって前進を見た。とりわけ、スペインに先立って成立した改正年金法は、一定程度の福祉縮減を前提とする制度設計に基づくものであり、経済の委縮を背景としつつ、がんらい妥協困難な政策領域での合意が成立したことの意義は大きかった。
(2)社会的協調の終焉?
2007年のリーマン・ショックを引き金とする欧州債務危機の直撃を受けて、2008年以降に両国の経済・財政状況が急激に悪化し、労組を取り巻く環境は劇的に険悪化した。バブルの崩壊に伴うスペインの雇用破壊はより深刻で、2008年から2012年に欧州全体で失われた雇用の半分以上をスペインが占め(510万中270.5万)、2013年初頭の時点で失業者数は620万人以上に達した。失業率は同年27%を記録し、若年失業率は57%を超えた。すでに景気低迷の中にあったポルトガルでも、建設部門を中心に失業が急増した(2008年以来、同部門だけで40%の雇用が失われた)。
景気の劇的悪化に伴う拡張主義的財政政策、および(スペインの場合には)銀行救済のための公的資金の注入によって、両国の政府財政赤字は深刻なレベルに達し、長期国債の金利上昇が危険水域に達した。両国において、欧州債務危機に伴う緊縮政策への決定的転換は時間の問題であったが、2010年初頭の欧州首脳会議および「トロイカ」の勧告を直接的契機としてそれは起こった。
第2次サパテロ政権は「経済的刺激・雇用・競争力・社会進歩のための宣言」を労使間で合意して(2008年7月)社会的協調路線を通じて危機の克服に当たろうとした。しかし、経営者側から提起された労働市場改革の要請、公的年金の支給開始年齢の引き上げを含む包括的な年金改革の課題が、2009年から2010年にかけて政府と2大労組との間の齟齬を拡大し、サパテロ政権の緊縮政策への転換(2010年5月)が明示的に行われた後、2010年9月29日には1988年以来初めてPSOE政権に対するゼネストが組織された。
ポルトガルでは2010年3月から公務員給与の削減、増税などを含む「安定成長プログラム」(PEC)が開始された。しかし、政治的スキャンダルの続発とも並行して第2次ソクラテス政権への不信は高まり、2011年3月までには第4次PEC案が議会を通過しなかったことから、ソクラテスは退陣を決意するに至った。両国においては、トロイカの要請ないし勧告に従って労働市場改革と福祉改革が着手されたが、一連の改革において、社会的協調の役割は後景に退きつつあった。
5.おわりに
欧州危機を契機とする恒常的緊縮に伴って、両国の労働政治が対話から対決へと転換したと一般的には理解されている。とりわけスペインでは、中道右派政党PPのラホイ政権が成立した後も、2012年3月29日、2012年11月14日など、緊縮政策に抗議する大規模なゼネストが組織され、ポルトガル国内にもこれらに連動する動きがあった。サパテロ政権の緊縮路線への転換の1周年にあたる2011年5月15日には、反グローバリズムを掲げるM-15運動が立ち上がり、マドリードをはじめとしてスペイン中核都市が占拠された。
しかし、このような激しい活動は時に労働運動の範疇を超え、特にスペインの2大労組は、状況を十分に制御する能力を持ち合わせていない。そうであればこそ、2大労組は、政府の提示する解雇規制の緩和策や緊縮政策の強化に正統性を与えるだけの交渉に参加する姿勢を、今なお放棄していないのである。労組に突き付けられた二律背反は、ポルトガルでは、ますます強まるCGTPの戦闘性と、2012年1月の「防衛的協定」への参加に示されるUGTの妥協姿勢との分裂の中に表れている。
かつて危機の時代に見られた対話への回帰が困難をはらんでいるように見えるのは、次のような理由からである。第1に、緊縮政策の施行に超国家的意思が介在することによって、政府の非難回避が容易になっている。第2に、緊縮政策自体に対して世論は「反対」で一致していない。その背景には労働市場の二重性に起因する労働者内部の亀裂や世代間対立が関係している。第3に、労働市場改革の推進と並行して団体協約の締結数やカバレッジが顕著に低下し、労働組合の存在意義自体が問われ始めている。
対話と対決の間を揺れ動く両国の労働組合の矛盾は深刻である。組織的な弱さを補うべく政権に寄り添ってきた労組のあり方が、グレート・リセッションの時代には労組自身に対する批判と不信を醸成している。財政と経済の深い谷間から這い上がる過程で両国の労働組合は存立基盤を決定的に失い、労働政治の構造が根本的に変化するかもしれない。その意味において、グレート・リセッションとその直後の数年は、両国の社会的協調の実質的崩壊につながる歴史的分水嶺となり得るのである。
参考文献
Avdagic, Sabina, et al (eds.), Social Pacts in Europe: Emergence, Evolution, and Institutionalization,
Oxford University Press, 2011.
Royo, Sebastian A New Century of Corporatism?:Corporatism in Southern Europe: Spain and Portugal in Comparative Perspective, Praeger,2002.
ナバンロ, ビセンスほか『もうひとつの道はある スペインで雇用と社会福祉を創出するための提案』つげ書房新社・2013年