4.労働法の改正
メキシコでは1917年憲法123条で8時間労働、組織権、スト権などが保障された。これは制定当時、世界的にみても進歩的であった。その後1931年に連邦労働法が制定され、1970年に改正された。それは概して労働者寄りの内容であったが、現実にはこれまで述べてきたように、官製組合主義をとおして自主的な労働者の活動は厳しく制限されてきた。労働法については以前から経営者から不満が表明されていたが、1980年代以降、労働市場の硬直化への非難、是正要求圧力が急速に強まり、労働法改正に向けて政府も動き始めた。しかし何度か改正案が提出されたものの、主要な政党や労働連合の思惑によって議論が中断され、改正は先延ばしにされた。その主要な争点は雇用の柔軟化、労組の自治と民主化にあった。90年代から2000年代にかけてはCT-CTMと独立系組合の間だけでなく、官製労働運動を包摂する制度的革命党(PRI)、経営者寄りの国民行動党(PAN)、中道左派の民主革命党(PRD)の政党間でも熾烈なせめぎ合いが続いており、労働法改正はその渦中に巻き込まれたのである。
雇用の柔軟化には労組全般とPRI・PANと対立するPRDが反対したが、経営側に協同姿勢をとる
UNTなどにとっては必ずしも受け入れられない内容ではなかった。また、組合の民主化はボス支配の続くCTMの指導者にとっては容認しがたく、それゆえにCTM等の支持がほしいPRIは、民主化の必要性を認識しながらあえてそのルール化には踏み切れないという立場に置かれた。それに対して、独立系組合、PRDにとって民主化は譲れない改革であった。このようなわけで法改正は遅れたが、実際には労働関係の柔軟化が企業ごとの集団協約の見直しの中で進んでいった。
2000年の政権交代によってPAN政権が発足すると、党主導で法改正への動きが本格化した。2002年には通称アバスカル法案が、2009年にはロサノ法案が提出された。アバスカルは経営者団体COPARMEXの元会長であり、当時労働大臣の職にあった人物である。両法案とも雇用者側の権利を擁護し、労組の活動を制限して雇用者の統制下に置くことを目的としていた。2012年9月には大統領によって法案が提出された。そしてついに可決され、11月30日、まさにPAN政権の最終日に公布された。1989年にCOPARMEXが最初の改正案を提示してから、23年が経過していた。
2012年の審議は短期間のうちに、いくつかの修正を加えられた形で決着した。原案は次の3点において独立系労働連合とP R Dから厳しく批判された。①手続き要件によりストライキ権の行使などが制約されること、②不当解雇の申し立てをした場合、裁判が4,5年かかるにもかかわらず、給与支払い義務が1年間と定められたこと、③アウトソーシング、時間給、テスト雇用などの導入が認められたこと、である。①については国際規約違反になるため、下院での審議に入る前に削除された。②は議論されたものの、そのまま承認された。③については、アウトソーシングが認められるのは企業の被雇用者の通常の業務ではない分野だけとするという制限が追加され、最終的に承認された。
主な改正点は雇用形態の拡大にある。これまでメキシコには法的には無期雇用しかなかったが、新たに季節雇用、試用期間・研修期間制度、時間給制度などが導入された。180日以上の雇用あるいは無期雇用に対しては30日間の試用期間が、また一般労働では3か月の、管理職・専門職では6か月の研修制度が認められたが、適正がないと判断された場合には、各企業に設置が義務付けられる生産性・教育委員会の意見を参考にして、雇用主が責任を負うことなく雇用関係を解除することが可能になった。不当解雇にかかわる裁判中の給与支払い義務の期間設定、パートタイマー雇用も認められた。ハラスメント行為の明確化、人材派遣の定義の明確化とその利用の制限、海外で働くメキシコ人労働者の権利保障、身障者雇用義務、5日間の男性産休(義務)保障といった労働者寄りの内容も含まれていたが、全体としては雇用の多様化・柔軟化を促進する、経営者側に有利な改革内容であった。
先に指摘したように労働法をめぐる争点の一つは組合の民主化であった。その点については、原案に透明性と説明責任に関する組合の新ルールおよび組合指導者選出と集団協約公表の新しいプロセスに関する規定が含まれていたにもかかわらず、審議過程で削除され、先送りとなった。まず下院でその条項が削除されたのち、上院でPRIとPRDの賛同(不思議な組み合わせであるが)により復活したが、再度、下院に戻された時にCT系労組の強い抵抗を受けて削除されたのである。この経緯から二つのことが指摘できる。PAN、PRDはもちろんPRIも組合内民主化には基本的に同意していること、そして議会、とくに下院で官製組合主義がそれなりの影響力を保
持しており、独立系労組にはそれに抗するだけの力がないことである。最終的に民主化条項が盛り込まれなかったことを考慮すると、古いPRI体制の残滓とも呼ぶべき官製組合主義が、新自由主義改革を目指す新しい経営者や政治家にとっても使い勝手のよい道具と化しているのかもしれない。
むすびにかえて
2012年12月1日、12年ぶりにPRIが政権に返り咲いた。現政権は2013年にPANの協力を得て、教
育改革法およびエネルギー改革法を通した。前者は教員労組の統制・公教育省の権限強化を図り、後者は石油産業・電力産業への外国・民間資本の参入の承認するものであるが、鉱工業部門での労働運動が全体的に停滞するなかにあっても活発な活動を続けてきた教員組合調整委員会(CNTE)と電力組合(SME)に大きな打撃を与えたことが推測できる。この2組織は2012年から新たな独立系連合の発足にむけての準備を始め、2014年2月には90の労組代表を招集して、新労働者中央団体(Nueva Central de Trabajadores)の設立大会を開催した。だがその真価が問われるのはこれからである。PRI政権に復帰したとはいえ、PRI自体がグローバル化への適応
を推進する方針をとっているため、CT、CTMが代表する官製組合主義がかつてのように再生する可能性は低い。他方、UNTや新連合のような独立系連合の今後についても見通しは明るくない。
以上、80年代以降のメキシコ労働運動の推移を概観してきたが、経営者団体に比べて労働団体の力は弱体化しており、自立した労働運動が求心力をもってグローバル化時代に求められる新た役割を担う可能性は小さいと、現段階では結ばざるを得ない。