2.軍事政権と「新しい労働運動」
ブラジルでは1950年代後半から1960年にかけて、「50年の進歩を5年で」という政府のスローガンのもと、前述の自動車産業の育成や新首都ブラジリアの建設をはじめ、国家主導の開発主義が強力に推し進められた。しかし、このような開発主義は政府財政を圧迫するなど経済を悪化させ、また、当時の政権がキューバ革命政府との親密化を図ったこともあり、国の発展への危機感や共産主義への脅威を軍部が強め、1964年にクーデターを起こした。その結果、ブラジルは1985年までの21年間、軍事政権の統制下に置かれ、都市部および農村部の労働運動はストライキを禁止されたり幹部が逮捕されたりするなど、軍による激しい弾圧や介入にあった。
ただし、軍事政権下で全ての労働運動が停滞を余儀なくされたわけではなく、ポピュリスト体制に内包されていなかった労働組合は弱体化しなかった。軍事政権が社会政策の実施を主に農村部では労働組合を介して行ったこともあり、農業労働者の組合数および加入者数は大幅に増加した。都市部においても、教師や銀行員などの伝統的な職種以外のホワイトカラー労働者が形成されるとともに、サンパウロ市近郊で自動車産業関連の労働者が国家から自立した独自の活動を展開するようになり、労働運動の中心が政府系企業から民間企業へと移っていった。
これらはのちに「新しい労働運動」と呼ばれ、1970年前後の「ブラジルの奇跡」と称される高度経済成長が1970年代後半に終焉を迎え、強権的な軍事政権への国民の不満が高まるなか、政治の自由化を求める運動に影響を与えながら活発化していった。
ブラジルにおける民主的な政治の回復は、1970年代後半に軍事政権自らが漸次的に進めた上からの政治の自由化と、1980年代前半に国民が全国規模で展開した民主化要求デモの相乗的な成果として、1985年に民政移管というかたちで実現した。その際、非合法だったストライキが1970年代後半に各地で大規模かつ頻繁に実施され、特に1979年のストライキには全国で300万人以上が参加し、軍事政権や国民に大きなインパクトを与えた。それらの反政府的なストライキを主導したのは、サンパウロ市近郊の金属労働組合のリーダーとして台頭し、のちに選挙へ4度も挑戦して大統領となったルーラ(Luiz Inacio Lula da Silva)など、国家とは距離を置いた「新しい労働運動」の主な担い手たちであった。
これらの「新しい労働運動」のリーダーに加え、過去において支配体制の外にいた左派的活動家や思想家が中心となり、過去の左派政党とは袂を絶った労働者党(PT)が1980年にサンパウロ市近郊で結成された。労働者党は労働組合などの組織労働者を重要な支持基盤の一つとして、民政移管後のブラジルで徐々に勢力を拡大し、2003年にルーラが大統領となってから4期連続18年間政権を担っている。また、1983年に労働者党と関係が深く左派色の強い労働者統一本部(CUT)、1986年により穏健的な労働者総本部(CGT)という2つの全国レベルの労働組合が結成された。ブラジルの労働運動は、国家から自立し反政府運動の胎動となった「新しい労働運動」が興隆し、1988年に制定された新憲法でストライキが労働者の権利として明記されたこともあり、軍事政権下で弱体化したコーポラティズム的な労働組合も含め、政治の自由化プロセスにおいて数量的に増加するとともに、その活動を活発化させた。
3.新自由主義的な労働法制改革
1980年代はブラジルにとって政治的に重要な転換期だったが、経済的には「失われた10年」と呼ばれ、インフレや債務危機が深刻化した時期であった。しかし、1990年代に経済の安定化を実現すると、政府や企業の中長期的な計画策定が可能になるとともに、サービス産業を中心に正規雇用が増加するなど産業構造が変化した。そして、世界経済のグローバル化が進み、それに対応する必要性が高まったこともあり、労働や雇用の柔軟化などの新自由主義的な労働法制改革が試みられた。
政府の介入影響力が甚大だった賃金交渉は企業内化され、景気や労働市場の動向に基づき労使間で決定できるようになった。労働時間に関しては、期間フレックスタイム制やパートタイム契約が導入された。数量的な労働や雇用に関しても、企業が労働者を雇用する際に「社会的負担」の名目で課される保険などの高い非賃金コストを軽減すべく、期間労働契約制やレイオフ制度が導入された。
ブラジルの労働運動は、このような労働や雇用に関する新自由主義的な改革に加え、雇用情勢が悪化したこともあり、1990年代になると停滞することとなった。例えばストライキの件数は、インフレを終息させた経済政策が実施された1990年代半ばに相対的に多く発生したが、それ以降は大幅に減少している。また、1980年代に結成された前述の2つの労働組合に加え、1990年代に全国規模の新たな労働組合がいくつか結成されたが、労働組合の組織率は1990年代を通して約20%で、若干ではあるが1990年代後半になると低下している。
ただし2003年からブラジルでは、組織労働者を支持基盤の一つとする労働者党が政権を担当している。この労働者党の主な支持団体に、組合員数2,000万人以上で労働組合として南米最大であり世界でも5番目の規模を誇る労働者統一本部がある。このような影響力の強い労働組合を支持団体に持つ政党が、長期にわたり政権を担っていることもあり、近年は組合員数が以前より増加する傾向にある。ただし一方で、ストライキの件数は労働者党政権下で相対的に減少しており、与党労働者党と国内最大の労働組合である労働者統一本部との相互依存的な関係は、近年におけるブラジルの労働運動の形態に影響を与えているといえる[上谷2007;小池2014]。
おわりに
このような政労関係を特徴とする近年のブラジルでは、協同組合などの第三セクターの活動領域を意味する連帯経済が重視されている[小池2014]。また、与党労働者党が社会運動団体も重要な支持基盤としていることから、労働者統一本部などの労働組合と社会運動団体の共闘も見られ、社会運動ユニオニズムが展開されている。つまり近年のブラジルの労働運動は、労働者全体の福祉向上を目指すソーシャル・ユニオニズムを一つの特徴としているということができよう[新川・篠田2009]。
【主要参考文献】
上谷直克 [2007]「ブラジルの労働・社会保障改革―国家コーポラティズムの呪縛」宇佐見耕一編
『新興工業国における雇用と社会保障』日本貿易振興機構アジア経済研究所、103-146ページ.
小池洋一[ 2014]『社会自由主義国家―ブラジルの「第三の道」』新評論.
新川敏光・篠田徹編著 [2009]『労働と福祉国家の可能性―労働運動再生の国際比較』ミネル
ヴァ書房.
ファウスト、ボリス [2008] 鈴木茂訳『ブラジル史』明石書店.
Antunes, Ricardo & Marco Aurélio Santana[ 2014]
“The Dilemmas of the New Unionism in Brazil:
Breaks and Continuities.” Latin American
Perspectives, 41(5), September, pp.10-21.