機関誌Int

lecowk

1:労働運動の歴史的意義と展望 ──格差世界からの脱出<1/3>

京都大学法学研究科 教授 新川 敏光

労働(労働組合)の目的は何かといえば、第一義的には労働者の権利、賃金や労働条件を守り、改善することにある。しかし、その目的を達成するために組織労働が展開してきた活動は、より大きな社会的文 脈へと位置づけられる。労働運動の存在意義が見失われ、労働組合無用論すら聞かれる今日、組織労働の歴史的意義を改めて確認し、21世紀における労働運動再生の可能性について考えてみたい。 

1.労働運動の歴史的意義
話は古く、産業資本主義勃興期から始まる。賃金労働者という存在は、必ずしも社会的に祝福された存在ではなかった。都市に居住する賃金労働者は、農村や職業共同体(ギルド)への帰属をもたないという点で、中世の浮浪者同様に忌み嫌われる存在であった。彼らには、いうまでもなく、資本家階級のように市民としての信頼を得るに足る「教養と財産」もなかった。

労働者の組織化とは、このような社会的に排除された者たちが正統な市民として認められ、社会的に統合される過程に他ならなかった。つまりそれは、労働者が物質的利益だけでなく、基本的諸権利(結社の自由、団結権、なかんずく参政権)を獲得してい く過程であった。自由主義者たちは労働者への参政権付与に対して懐疑的であり、当初民主主義を要求したのは、社会主義者、アナーキストという急進派であった(福田 2009:45)。組織労働の台頭を前に、自由主義者たちはついに労働者の政治参加を認めるようになる。

その結果、民主主義政治は、急進派の思惑とは異なり、労働者の団結を体制破壊や革命ではなく、 穏健な社会改良へと向かわせる機制となった。労働組合の動員力が、経営側との交渉において重要であることはいうまでもないが、数の力がそのまま反映される民主主義政治において動員力はより直接的効果をもつ。民主主義ルールに従うことによって、労働者は体制内化される。いわば階級闘争の民主的翻訳がなされるのである(Lipset 1981)。

民主主義は、再分配政策を通じて一定程度の平等化や社会的公正を実現してきた。福祉国家が組織労働の力によってもたらされたといえば、いささか歴史の単純化がすぎようが、組織労働の動向が福祉国家建設にとって鍵となったことは間違いない。 福祉国家は、階級対立を超えた国民的団結を促すものとしてあり、国民的団結は労使関係の安定、制度化抜きには考えられないからである。

2.グローバル化
グローバル化は労働運動の成果、そして労働運動そのものを、すっかり色あせたものにしてしまった。福祉国家は労働コストを重くし、資本の国外逃避を招きかねないもの、経済のお荷物として、負のイメージが定着してしまった。民主主義といえば、かねてよりその形骸化が指摘されてきたが、グローバル化の進行のなかで左右政党間の政策距離が失われ、社会的に多様な声を集約する機能を弱めてしまったようにみえる。

1990年代後半ヨーロッパでは、イギリス、ドイツを始め、EU15ヵ国のうち12ヵ国において社民系政党が政権を獲得したが、その鮮やかな復活劇は、今日からみれば、皮相なものにすぎない。多くの社民は、市場対抗・是正的戦略を捨て、市場順応的な中道左派戦略によって勝利したからである。換言すれば、社民政党は、ネオリベラリズムに同調することによって、政権についた。その結果、ネオリベラルなグローバル化への代替肢が主要政党の間で見られなくなった。今日のヨーロッパ政治における小政党、とりわけ右翼政党の跋扈は、このような事情と無関係ではない。

グローバル化は、労働運動自体に深刻な打撃を与えている。一国主義的経済管理が有効であった時代、経営側にとって、労働組合の要求に応え、賃金や労働条件を改善することは、生産性向上に、そして消費拡大に労働者を取り込む一石二鳥の策ともいえた。しかし資本の国境を超えた自由な移動は、このような努力を無用なものにした。労働コストが高くなれば、生産を国外に移せばよい。国内で消費が伸びなければ、国外で売れば良い。もちろんこれは極論であるが、このように経営側の選択の幅が広がったことは、労働側の戦略的立場を危ういものに した。

労働組合が獲得してきた社会的地位と評価は、ここ数十年、大きく低下している。労働組合は、既得権にしがみつく利己的な集団とみなされることも少なくない。雇用の多様化や労働者の意識変化が労働者の組織化を困難にし、労働組合は、社会的周辺者たちを動員し代表する機能を弱めた。各国では労働組合への不信が蔓延した。1979年サッチャー政権誕生の直接のきっかけが、労働組合への不満と批判にあったことは、よく知られている。

グローバル化のなかで、労働組合の組織率は一貫して低下している。EU加盟国平均では1980年39.7%から1990年33.1%、2002年26.3%へと落ちている。スウェーデン、フィンランド、デンマークという北欧諸国は、高い組織率を誇っている。それでも2003年には、各々78%、74.1%、70.4%であったのが、2008年には68~69%にまで下がっている(スウェー デンの落ち込みが著しい)。イギリスは1980年には50.7%であったのが、サッチャー政権時代顕著に落ち込み、最近では30%を大きく割っている。かつては 35%程度であったドイツは、2008年の数字では19.1%であり、18.2%の日本とあまり変わらない(Bieler and Schulten 2008: 236; http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3817.html)。

気をつけなければならないのは、ヨーロッパ諸国の場合、労働組合の組織率が低くても、被用者への労働協約の適用率は高く、組織率が低下したからといって、直ちに労組の影響力低下と判断するわけにはいかないことである。たとえば日本の場合、労働協約によってカバーされる労働者は16%にすぎないが、 ドイツの場合は、62.5%に達している。フランスの組織率7.7%はアメリカの11.9%よりもまだ低いが、アメリカの労働協約適用率が13.7%であるのに対して、フランスでは90%に達している(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3817.html)。

欧州において労働協約適用率が高いのは、そもそも労働組合が企業を超えた労働者の階級的連帯の上に形成され、労働者全体の福祉を向上しようとする、いわゆるソーシャル・ユニオニズムの伝統が強いからである。これに対して日米では、組合員の利害だけを追求するビジネス・ユニオニズムが一般的であり、労働者全体の利益や権利保護の考えが弱い。

とはいっても、ヨーロッパ型のソーシャル・ユニオニズムにおいて、組合組織率の低下が労働運動に全く悪い影響をもたらさないとはいえない。組織形態の違いにかかわらず、組織率低下は、組織労働の集票能力の減退に直結し、政治的影響力減退につながる怖れがある。先に指摘したヨーロッパ社民の右旋回は、労組依存では政権を獲得できなくなったという事情を反映している。労働組合の多くは、こうした社民の右旋回に同調し、そのなかで影響力を保持しようとしてきたが、それは二重の意味で失敗したといえる。

第一に、社民の復権は、一時的なものにすぎなかった。21世紀に入ると、社民勢力は、ドイツ、フランス、デンマーク、スウェーデンで立て続けに政権を失い、リーマン・ショック後、2009年のヨーロッパ議会選挙では大敗を喫し、2010年5月にはイギリスからニュー・レイバーが消え、9月にはスウェーデン社民が政権復帰に失敗し、社民最後の砦と思われた南欧においても財政破綻が社民政権にとどめを刺した。

もうひとつの失敗は、ネオリベラル・グローバル化への順応によって、社民が左としてのアイデンティティを失ったことである。社民は、冷戦時代には東側共産主義に対抗し、自由主義陣営のなかで平等性と社会的公正(具体的には福祉国家)を追求するというアイデンティティをもっていたが、東西冷戦が終結し、グローバル化が進行すると、そのようなアイデンティティは失われた。中道左派路線はネオリベラリズムに同調し、結果として世界の格差社会化を許すものとなったため、新たな左のアイデンティティ確立には結びつかなかった。

一覧へ戻る