早稲田大学社会科学総合学術院 教授 篠田 徹
1.平等とよりよき未来に向けた小さな物語とは
本稿は、前号新川論文の結語、「労働運動再生の道は…平等とよりよき未来に向けた小さな物語をいくつも編んでいくなかにある」との至言を細やかに証す。新川曰く「労働運動の再生にとって重要なのは、やはり平等化や社会的進歩の物語である。ただしそれを普遍性として語る事はもはやできず、あくまでローカルな文脈依存的なものとして語られる必要があろう。それはいわば一つの大きな物語ではなく、無数の小さな物語である」。大きな物語の像を仮に旧約聖書に登場する「バベルの塔」の天を衝かんとする巨大な構造物に見立てるなら、無数の小さな物語は天空の星座か。確かに夜空に輝く星々は賢治が語る様に、何処の誰もが目指せる。
「バベルの塔」の物語は共通言語の喪失だ。自らの強大な力を誇示せんがためバビロンの人々が建設せんとしたそれこそ神をも恐れぬおおけない壮挙は、コミュニケーション能力の剥奪なる天罰でいとも容易く崩れ去った。意思が伝わらぬ現場は成り立たない。労働運動にせよ社会主義にせよ或いは革命にせよ民主化にせよ、近代の大きな物語は、「歴史や社会を、概念的に説明可能な諸法則を中心に構成されている理解可能な全体性として提示」(ラクラウ・ムフ 1992)した。百年以上に亘って無数の人々を同じ方向に導いて来たこれらの共通言語は、前世紀末以降大勢にとって意味不明となり共同幻想と化した。ならば幾多の地場の小さな物語で人々は如何に連なるのか。新川は云う「小さな物語こそが、切れ目のない、閉じられた世界に亀裂を走らせ、 一条の光をもたらす」。これを聞いて、半世紀前、欧州社会主義や中ソ共産主義等マルクス主義を中心とする大きな物語の正統派と常に一線を画しながら、べ平連(注)を拠点に世界の平和運動を股に掛けた小田実なら、こんな話をするだろう。(注:「ベトナムに平和を!市民連合」の略称)
「ブラックパンサー」(60~70年代の米国黒人解放運動:篠田)の活動家の一員が日本にやって来たとき、彼がもっとも感銘を受けたのは三里塚の農民たちだったというのだが、それはかれらのなかに自分と共通のものを見出したからだったにちがいない。彼は実際あとでそんなふうに語ったのだが、同じことが農民の側にも言えたのではないか。私には、三里塚の農民たちのほうがニューヨークの商社員よりも商社員の奥さんよりも、黒人が判り、黒人のたたかいが判り、ひいてはアメリカ社会そのものが判ったのではないかと思えてならない。たとえかれらが英語を一語も知らず、それまで外国人などに出会ったことがなかったにせよ、それはそうなのにちがいないと私は思うのだが、理由は簡単だろう、「ブラック・パンサー」も三里の農民も権力の身勝手に対してたたかっているというもっとも根本的な一時において一致し、共通していたからなのだ。ことばをかえて言えば、かれらは、たたかいという同じ「現地」をもっていたのだ(小田 1970)。
つまり新川の言葉に戻れば、平等とよりよい未来に向かうことを自分の問題として突き詰める「現地」 の物語ならば、譬え一見内輪の小さな事柄でも、時空を遠く超えた異なる状況の「現地」で、だが同類の営みを続ける者の目には、その輝きがよだかには隣に見えたカシオぺア座の様に励ましとなって映り、他の数多の小さな物語と一緒に、天の川のロマン宜しく後の運動の語り部達が自分の名を呼ぶのを想像出来るということだ。もっとも小さな物語が繋がり支え合い大きな世界を形造るのは小田の想像に留まらない。
2. 小さな物語が繋がり支え合って大きな世界を造る国
19世紀後半から20世紀末迄、労働運動や社会主義或いは革命や民主化で大きな物語を創り、それを最も大事にして来たのは欧州だと云えば大方が頷く処だろう。
そういう言説世界で米国の政治運動、社会運動なかんずく労働運動に拘るのは、矢張り「よだか」な らぬ似て非なる物の愛好者として変り者視されても仕方あるまい。だが欧州の大きな物語の効験が薄れる前世紀末辺りから、米国労働運動、特に社会運動化する部分に運動世界の注目が集まり始める。早い話が新川が前号で言及した社会運動ユニオニズムの語は多くは米国研究者が流行らせ、事例も米国の場合が少なくない。最近のウォール街占拠運動 (Occupy Wall Street)への注目も同様の文脈と云える。
新川はその理由が奈辺にあるかを思案していた者の背中を押す。確かに米国で欧州同様の労働運動や社会主義は終ぞ現出しなかった。「何故米国社会主義は育たないのか」は百年以上前から米国の政治経済、社会文化言説の十八番の問答だ。その正解は「欧州の様な階級社会ではないから」だ。事は真偽の問題ではなく信念に近い。欧州を逃れ欧州でないのを目指した米国で欧州の大きな物語は受け入れられない。だが勿論それは平等とよりよき未来を目指す物語が米国になかったことを意味しない。
実は19世紀以来米国には「改革伝統」と呼ばれる運動系譜がある(Messer-Kruse 1998)。それは人種的、階級的、性的平等と民主主義と市民的諸権利の最大化を目指して宗教や土地改革、協同組合からコミュニティ活動迄ありとあらゆる運動が育んだ物だ。この米国の運動系譜は、欧州で同様の目標を担った労働運動や社会主義運動が、主として19世紀以来課題を次々と吸収しながら進化していったのと対照的に、18世紀後半の米国革命の自由と平等の精神を体現した憲法(修正条項を含む)理念の未完の事業として、或いは19世紀の奴隷解放や人民主義(Populism)の巨大な集合運動が垣間見せた理想への繰り返される挑戦として今日迄受け継がれている。
ちなみにポピュリズムという語やその言説は、欧州や日本では負の意味合いが強い。だが米国特に草の根活動家の間ではこの人民主義運動との繋がりをしばしば含め寧ろ正、それも正義の動きと解される。実際「右翼」の茶会(Tea Party)運動も「左翼」のウォール街占拠運動も、実数としてのみならず理念としても、米国市民社会の主体たる人々(people)の側に立つ多数派を代表するとその系譜を自負或いは少なくとも匂わせる。
今奴隷解放や人民主義を指して巨大な集合運動と呼んだが、実際それらは元奴隷の黒人小作から 新移民の白人産業労働者、中小商店主から宗教家迄多様な人々から構成された様々な運動の諸連合であり、それらの集会では夫々の問題や解決策が共有され、極少の特権者達に立ち向かう圧倒的多数の勤労国民間の協力協同や連携提携が積まれる。この謂わば小さな物語が繋がり支え合う大きな運動は、近年反グローバリズム運動や日本の反原発運動に見られる「諸運動の運動(A movement of movements)」(Klein 2000)「諸連合の連合(A coalition of coalitions)」(Mertes 2004)と同類だ。そしてこの小さな物語が繋がり支え合って紡ぐ物に運動文化がある。
ここでいう運動文化(Movement Culture)とは人民主義運動の草の根段階の連帯を考察したローレンス・グドウィンの言葉で、個人の自由は他者との協力なしに享受出来ないと考え振る舞う生き方を指す(Goodwyn 1975)。前述の通り、米国は建国から建前は自由と平等の社会で、個人の自立自助が強調される。だがそれを十分享受出来ない集団には、その事を自分達で解決すべき問題と受け止め、実質的な自由と平等のため行動するには、協同組合等の連帯活動で個人の限界を同じ境遇にある他者との協力で乗り越えながら、個々の自尊心の回復と集合的なアイデンティティ形成が相互に進むことを知る学習過程が不可欠な事を示したのが人民主義運動だった。グッドウィンはこの運動文化の創出を米国社会の平等とよりよい社会を目指す運動全般の在り様として一般化したが、それは正に米国で小さな物語が繋がり支え合う大きな運動の在り様でもある。