5.「小さな物語」が集う処
確かにこれまで言及した70年代半ばに始まり、前世紀末辺り迄盛んであった運動史は、90年代半ば頃から始まる米国労働運動の社会運動化を促す上で大きな影響力を持った。だがその中核を担うべく期待された米国労働組合運動は、しかしながらここ数年親労働政権をワシントンに戴いたにも関わらず失速が否めない。米国労働組合運動の現状はまた稿を改めて述べる必要があるが、組合への社会的支持が過半を割り、組織率の低下は止まらず、その中の過半を占める官公労への攻勢が、世論を背景に程度の差はあれ共和民主両党から仕掛けられ、今秋の大統領選で共和党候補が勝利すれば、労組の凋落は釣瓶落としと云われる中、労働運動の行方は奈辺にあるのか。
そんな中この二年程の間に、米国の書店では硬派だが一般読者向けに興味深い本が陸続と並ぶ。例えばフィリップ・ドレイ『組合には力がある―アメリカにおける労働の叙事詩的物語』(Drey 2010)、ジョーン・ニコラス『「S」ワード―社会主義というアメリカの伝統についての略史』(Nichols 2011)、マイケル・カズン『アメリカンの夢追い人達―左翼は如何にこの国を変えたか』(Kazin 2011)、イー、エー、ディオンヌ『引き裂かれた我々の政治的ハート―不満の時代のアメリカ的思想を巡る闘い』(Dionne 2012)だ。
これらの作者は皆基本的には米国言論界の主流であるリベラルだが、立ち位置は様々でまた作家や学者もいれば新聞のコラムニストや政治記者もいる。にもかかわらず著書の最後は何れも、この文で縷々綴った「小さな物語が繋がり支え合って形造る大きな運動世界」への信条吐露とその伝統への帰依の告白で締め括られる。例えばこうだ。
これらの若い人達は社会主義についてそんなに知らないかもしれないが、高い失業率と空前の経済的不平等の時代に資本主義を経験している彼ら彼女らは資本主義に取って代わるものに心を閉ざすことはなかった。もっともこれら若い人達が資本主義に取って代わるものを求める時に意識しているのは、外国のイデオロギーを受け入れる積りはないということだ。彼ら彼女らが考えているのは正にアメリカ「イズム」であり、呼び名は違っても現実には建国以来我々の経験の一部になって来たものだ。一世紀半前、南部の人間の隷属状態と北部の賃金奴隷に最も激しく反対した者達は、自らを「社会主義者」或いは「共和主義者」と呼んだ。一世紀前、公民権、市民的自由、平和の擁護者達、そして米国かく在るべしと反植民地主義の精神を再び呼び起さんとした闘士達は、矢張り自分達の事を「社会主義者」と称した。50年前、仕事と自由と「貧困との闘い」のために立ち上がった著述家や組織活動家やそれらを求める行進に加わった者達は、「社会主義者」と自称した(Nichols 2011)。
1954年、(民主的左翼知識人の:篠田)ルイス・コーザーとアルヴィン・ハウは当時創刊した雑誌『Dissent』に寄稿し、専制的な支配者と彼らの思想への命取りな帰依から理想社会の考えを守ることを望む。そこで彼らは、「社会主義は我らの願望」とレオン・トロツキーが神への思慕を語ったのをもじって述べた。彼らは、社会主義者に未来があるとすれば、それは彼らが多くの労働者を自らの解放へと駆り立てる場合のみだと強調した。そして彼らは、いずれの階級であれ政治のために生き或いはそのために民族や人種集団、宗教、更にはスポーツ・チームへの忠誠さへ諦めようとする者が僅かしかいない事実を歓迎した。米国において急進主義的な民主主義者が非常に不遇を囲った時代に、コーザーとハウは、「社会主義に似たものを望めば定義を巡っていつも苦闘しなければならず、それは殆ど苦痛を伴う行為だが、何かを創造する時に付き物の痛みだ」と認めた。これまで社会主義は殆どのアメリカ人にとって自分達の夢の社会のために選択する物では決してなかった。そして今日多くの人々がそういう社会が実現可能なのか或いは望ましいか疑っている。けれどもそれを何と呼ぼうともそういう平等理念の様なものなしには、現実の世界を変えることはこれまで以上に難しいだろう(Kazin 2011)。
何れも「社会主義」が、欧州の大きな物語のそれとは対照的に、長きに亘って「平等とよりよき未来に向けた小さな物語をいくつも編んでいくなか」で互いに会ったこともない人々が集う想像の共同体への「合言葉」であったことが分かる。同時に、建国当初から階級なき社会と自己規定しその実質化に向け、多様な出自を持つ運動によって幾重にも更新されてきた米国の「社会主義」運動には、欧州の大きな物語が拠って以て立つ処とは異なる思想的源泉がある。それ故欧州中心の大きな物語が終わっても、米国労働運動がこの伝統に拠るならばその行方に然程の心配は要らず、寧ろ心しておかねばならぬのは、それを星空の中に見出すこちらの眼力に掛かっていることだろう。因みに以下の末文にある様に米国には既にその眼力を備えた人がその在り処を探す目印を皆に教えている。
勿論この本で触れた人達や他の何百万の人々が成し遂げた事の真の記念碑は、図書館に収まっている訳でもなければ名誉の飾り板に刻まれている訳でもない。それは我々が今日当然の事としている理に叶った労働時間、職場の安全、福利厚生、従業員は自分達の労働の価値を交渉する権利を持つという根本概念と云った権利や保護こそにある。それはまたそうした諸権利が誰かから手渡されたり、出来合いの物として配られたのではなくて、労働者自身によってそうした諸権利を巡って組合が結成され、交渉相手に要求され、勝ち取られた物だという知識にある。「組合は力を求めん、人間たることを褒め称える力を」。200年近く前、サラ・バグリーがニュー・イングランドの女性労働者に贈った旗にそう記してあった。そうした伝説の遺物が決して捨て去られず、今もアメリカの何処かで我々と共にあることを願いたい。勿論サラも彼女の意思が今も生きているのか、彼女が入念に推敲した言葉が変わらぬ儘なのか知りたがっていることだろう(Drey 2010)。
ここに出て来るサラ・バグリーは、1840年代前半のローウェル女性労働改革協会の創設者。彼女は当時産業革命の先端を走っていたマサチューセッツ州ローウェルの近郊農家に生まれ、地元で教師をした後ローウェルに移る。その後様々な改革運動が湧き上がるニュー・イングランドで活動家として更に運動言論家として頭角を現す。当時結成され始めた労組も殆どが「ローカルな文脈依存的なもの」で、職場の組織化よりも土地改革や時短法制や協同組合等の地域の「諸運動の運動」に忙しかった。だが次第にこれら小さな物語は超地域で繋がり支え合い大きな世界の運動を造る。当時組合等は既に専ら白人男性の専有物であったが、「諸運動の運動」の中では異人種、異性、異目標の連帯行動が盛んに見られた。例えば1860年にニュー・イングランド全域で2万人が参加した大靴工ストで、女工組合は猛吹雪を衝いてデモの先頭に立つ。彼女達が捧げる連帯旗には「体は負けても気持ちは負けない。我らの父、夫、兄弟と肩組んで、正義の闘いにいざ進まん」の文字が躍った。これまでアフリカン・アメリカンの歴史を書き数々の賞を取った筆者は、この772頁に及ぶ米国労組史の大著の最初と最後をこのサラ・バグリーの物語に捧げる。
【参考文献】
《邦文著者姓五十音順》
・小田実(1970)「第三世界と私、私たち」小田実編『現代革命の思想四 第三世界の革命』筑摩書房
・グリーン、ジェームス(篠田徹抄訳)(2003)『歴史があなたのハートを熱くする―労働運動をよみがえさせたければ忘れてしまった闘いの過去を思い出せ』教育文化協会(第一書林発売)
・トムスン、エドワード・P.(市橋秀夫、芳賀健一訳)(2003)『イングランド労働者階級の形成』青弓社
・ラクラウ、エルネスト・ムフ、シャンタル(山崎カヲル、石沢武訳)(1992)『ポスト・マルクス主義と政治―根源的民主主義のために』大村書店
《英文著者姓アルファベット順》
・Dionne Jr., E. J(2012) Our Divided Political Heart: The Battle for the American Idea in an Age of Discontent, Bloomsbury.
・Dray, Philip(2010) There is Power in a Union: The epic story of labor in America, Doubleday.
・Evans, Sara M. and Boyte, Harry C.(1986) Free Space: The sources of democratic change in America, Harpar & Tow Publishers.
・Goodwyn, Lawrence(1975) Democratic Promise: The Populist moment in America, Oxford University Press.
・Kazin, Michael,(2011) American Dreamers: How the Left changed a nation, Alfred A. Knopf.
・Klein, Naomi(2000) No Logo: No space, no jobs, taking aim at the brand bullies, Flamingo.
・Lipsitz, George(1988) A Life In The Struggle: Ivory Perry and the culture of opposition, revised edition, Philadelphia: Temple University Press. 文中引用は、Quintin Hoare and Geoffrey Nowell Smith eds.(1971) Antonio Gramsci, Selections from the Prison Notebooks, International Publishers. から。
・Mertes, Tom, ed.(2004)A Movement of Movements: Is another world really possible?, Verso.
・Messer-Kruse, Timothy(1998) The Yankee International: Marxism and the American Reform Tradition, 1846-1876, The University of North Carolina Press.
・Montgomery, David(1987) The Fall of the House of Labor: The workplace, the state, and American labor activism, 1865-1925, Cambridge University Press.
・Nichols, John(2011) The “S” Word: A short history of an American tradition…socialism, Verso.