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3:小さな物語が繋がり支え合う大きな世界の労働運動(2)<1/2>

1.平等とよりよき未来に向けた小さな物語とは

本稿は前稿「小さな物語が繋がり支え合う大きな 世界の労働運動」の続編だ。同時に本稿は、前稿 で述べた小さな物語が支え合う大きな世界の労働 運動としての米国労働運動の物語を、日本のそれ に重ね合わす事を試みる。まずはこの小さな物語が 繋がり支え合う大きな世界の労働運動という考え方 を思い出そう。元々これは、本誌前々号の本連載初 回で、労働運動再生の道に付いて新川敏光氏が 述べた予言に由来する。

労働運動の再生にとって重要なのは、やはり平等化や 社会進歩の物語である。ただしそれを普遍性として語る事 はもはやできず、あくまでローカルな文脈依存的なものとし て語られる必要があろう。それはいわば一つの大きな物語 ではなく、無数の小さな物語である

これを筆者はこう解した。労働運動の再生には平等とよりよき未来に向けた物語が必要だ。だがそれは最早、19世紀後半から20世紀末まで欧州が主編 した共産主義や社会主義の「大きな物語」に基づかない。またそれは歴史や社会を法則で理解し、その 物差しで世界を先進後進に分けない。さらに体系 だった構想に則り、地球大の組織建設を目指さな い。そうではなくてこれからは、平等とよりよき未来に 向かうことはまず自分の問題として受け止め、それを 追求する場を身の回りに創っていく物語こそが大事 だ。そしてこの一見内輪な運動現地の小さな物語同 士は、平等とよりよき未来を地場で目指すという志 で繋がり合える。この「大きな物語」と「小さな物語」 の成り立ち方は、前者が個々が部品と化す巨大な 構築物、例えて云えば旧約聖書の「バベルの塔」な のに対して、後者は夫々が独自に光を放ちながらそ の輝きが集まって美しい景色を織り成す星座の様 だ。そして米国の労働運動の物語は、この後者の運 動原理で理解出来るとの見立てで説明を試みたの が2である。そして今回は同じ観点でそれを以下日本で試す。

 2. もう一つの小さな物語が繋がり支え合って 大きな世界を造る国

「社会民主主義のワクをはみ出した社会民主主義的 政治勢力」には独自の世界史的使命があるように感ぜら れてならない。もちろんこのような政治勢力が大きく成長し うる条件をもった国は少ない、、、そうしたなかで常に引合 いに出されるのは日本とイタリアくらいのものとさえ言われて いる、、、とするならば「社会民主主義のワクをはみ出した 社会民主主義的政治勢力」と言ってみても国際的には 寥々として暁天の星の如きものではないかと言われるかも しれない。だが、戦後世界の政治と経済は各種の国家類 型を生み出す可能性をもつ。現に新興独立国群のなかに は81カ国の共産党・労働者党代表者会議の声明に「民 族民主国家」と呼ばしめるような国家類型を生み出し た、、、戦後日本の社会民主主義運動は日本社会党の運 動によって代表されてきた。そして西欧社会民主主義の 主流とは異なる道を歩み、異なる道を歩み続けたが故に日本の社会民主主義運動の代表勢力となり、日本の革新 勢力の中核としその政治的多数派の地位を確保してき た、、、その主たる原因は戦後の世界、戦後の日本の特殊 条件のなかにあることは言うまでもない。日本社会党 は、、、統一された政治性格を持たず、上部は非共産社会 主義諸派の政治連合であり、首脳部の構成はより前時 代的な派閥連合とさえ見ることができる。だが戦後15年に わたってこの党の組織と活動を支えた中堅分子、とくに青 壮年党活動家は現代西欧社民思想でもなく歴史的伝統 的意味の社民思想でもない。筆者のいう「社会民主主義 のワクをはみ出した社会民主主義類型」の人たちである。 【清水慎三(1961)『日本の社会民主主義』岩波書店】

日本の政治経済や社会文化が他国の政府や民 の範や羨望の対象となったことは、米国程ではない にせよそれ程稀有な事ではない。だが労働運動や 社会運動の世界、取り分け欧州が流布した労働者 階級を中心とした平等と社会進歩の大きな物語で は、米国同様あるいはそれ以上にずっと後発国ない し異端児扱いだ。戦後労働運動の作戦参謀を長く 務めた清水慎三は、それを「はみだし」と表現する。 が、興味深い事に彼は後発国の後ろめたさは微塵 も見せず、これを「独自の世界史的使命」と任じた。 本書の発行は少なくとも時代認識の上では高度成 長前。何らかの「坂の上の雲」を仰ぎ見ていた筈だ から、労働運動の目標としては、少なくとも字面の上 では欧州のそれと然程違いなくても、その実現でそ の大きな物語とは異なる道程を模索していた様で興味深い。

この清水が労働運動の作戦参謀として最も活躍 したのが所謂「高野時代」、即ち1950年代前半に 高野実事務局長に率いられた総評が、本連載初回 で新川が労働運動再生戦略として指摘した社会運 動ユニオニズム、即ち

労働運動が社会的に一部の恵まれた層(なかんずく正 規雇用労働者)の利益を守るものにすぎないという批判 に対して、環境運動や消費者運動など、いわゆる新しい 社会運動と連帯し、協調行動を繰り広げることによって、 新たな支持を獲得し、社会的承認を得ようという戦略

宜しく、全ての労働者のため、ひいては様々な苦 悩に喘ぐ人民のために、平和運動や護憲運動等当 時の新しい社会運動と連帯し、労働運動の存在感 と社会的承認を国民の間に広く深く獲得した時代 だ。尤もその運動戦略、取り分け企業や役所に閉じ 籠りがちな組合を一般組合員や他の社会運動に出 来るだけ開いて公共財にせんとしたそれは、労働運 動の則を踏み外す物と主要組合の幹部連には不 評だった。そのため彼らの批判を一般組合員や友 好団体の強力な支持で暫く凌いだものの、1955年 には事務局長の座を追われる。但しその間「社会民 主主義のワクをはみ出した社会民主主義類型」とし て高野総評を最も批判した人が、実は高野総評の 最大の理解者であった事は興味深い。その批判の 主とは近代日本の労働経済学者を代表する東大 教授大河内一男で、その理解のくだりが高野退陣 前後に雑誌『世界』に書いた総評論の最終部だ。

総評は、明かに、結成以来、一年毎に、「左旋回」をと げながら、その活動の舞台を拡大してゆくとともに、内部分 裂の傾向を濃くして行ったが、これは、明治、大正を通じて の、日本の労働運動にとっての宿命のようなものである。 戦後の労働運動のほうはいたる流れは、もはや組合エゴ イズムに居すわる余地を残さなくなって了い、その運動は 一方では、再軍備反対、基地反対・MSA反対の運動とな り、他方では平和や全面講和への要望となり、労働組合 員の闘争というよりも再軍備の皺寄せのかかる民衆全体 の闘争という形で展開され、さらに、他方では、中小企業 労組の結成や、零細農民、小商人漁民と組合との結びつ き、そしてまた、闘争の仕方としても、ゼネスト的方式から 「地域ぐるみ」、「町ぐるみ」の闘争や「家族ぐるみ」の闘 争による組合闘争力の補強への試み、そうした新しい戦 術を用いながら、或いは地域共闘の形で横断的に、或い は家族組合の形で背後から、個々の企業別組合の支柱 をつくってゆこうとする。こうした多彩な闘争は、しばしば、 労働組合本来の粘着力のある折衝と交渉やそれへの訓 練などを軽視する傾向を生み出しやすいが、それにして も、こうした組合の必然の動きは、サンフランシスコ条約後 における日本の「基地経済」的実体と広範深刻な国民の 窮迫が必要をもたらしたものであって、個々の指導者の考 え方や個人的指導理念の差異などに由来する問題では ない。総評はまだまだ内部での対立を深めるだろうし、今後 さまざまな誤謬をおかすだろうが、それでもその指導者が、 総評というものの実体が労働組合であることを忘れて浮き 上がることさえなければ、日本の指導的連合組織として、 国内的にはもちろん、国際的にも、それこそ「中立」の、特 殊な地位を占めることができるだろう。大事なことは、日本 の労働組合、とりわけ総評のような連合体は、アメリカ流の 「労働組合」l a b o r u n i o nでもなく、さりとてイギリス風の 「労働組合」trade unionでもなく、「企業別組合」を中心 とする一種の民衆組合的なモノだという点を認識すること である【大河内一男「総評論」『世界』1955年9月号所収】。

従来、この大河内の「企業別組合を中心とする 一種の民衆組合」という高野総評理解は、労働組 合として有るまじき物というニュアンスで、その後も長 く受け止められて来た。けれども、ここまでの本稿の 文脈に置いた時、この企業別組合を中心とした一種 の民衆組合という理解は、実は労働組合のもう一つ の有り様、即ち小さな物語が繋がり支え合って大き な世界を造る労働運動のそれに近い事に想い至 る。それはまた時空を越えて共有されていた。

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