千葉大学法経学部法学科 教授 水島治郎
はじめに
オランダは人口1600万人程度の小国であるが、 1990年代以降、「オランダモデル」と呼ばれる雇用・ 福祉改革を進めて国際的に注目を集め、近年も、 ワーク・ライフ・バランスを促して女性の労働参加を 大幅に拡大したことが、やはりモデルケースとして紹 介されるなど、話題には事欠かない国である。
そして その「モデル」を背後から支えてきたのが、オランダに おける労働組合だった。そこでここでは、オランダの 社民系労組をとりあげて、その果たしてきた役割、課 題と困難、最近の刷新の動きなどについて論じ、日 本への示唆を考えてみたい。
1.政策参加志向の労組
歴史的にオランダの労組の組織率は高いとはい えず、しかも漸減して現在は20%程度にとどまってい る。またかつては社民系労組と共産党系労組、カト リック労組、そしてプロテスタント系のカルヴァン派労 組などに分立し、相互に対抗する関係にあった。そ の後、共産党系労組が退潮し、カトリック労組が社民 系労組(F N V)に合流するなどして社民系労組が 優位に立つには至ったが、現在もカルヴァン派系労 組も健在である。組織率の全般的な低さもあって、オ ランダの社民系労組は、隣国のドイツの社民系労組 と比較すると、弱体であるように見える。
しかし実際には、オランダの労組の存在感は大き い。その最大の理由は、オランダでは労組が、経営 者団体と並び、さまざまなレベルで、政策形成や労 働市場管理などの公的な役割を担ってきたことであ る。労組は公的なアクターなのである。
まずマクロレベルでは、ネオ・コーポラティズムとよ ばれる政労使の意思決定の場が存在することが決定的に大きい。三者構成からなる社会経済協議会、 労使代表からなる労働協会のいずれもが、オランダ における福祉労働政策の展開に重要な影響を持つ が、労組、とりわけ社民系労組は恒常的にここに多 数の代表を送り、影響力を発揮してきた。
社会経済協議会は、オランダのコーポラティズムの 典型的な三者構成制度であり、国際的にも広く知ら れている。政府の最高諮問機関として位置づけら れ、総会の委員は経営・労働・政府任命の独立委 員がそれぞれ11名、合計33名である。総会の下に 多数の専門委員会が置かれており、その専門委員 会に至るまで三者構成が貫徹し、労組が代表を 送っている。例外は消費者問題関係の専門委員会 であり、ここのみが労組代表の代わりに消費者代表 が委員となっているが、他はすべて労組の代表が 入っている。労組の政策形成に関わる機能の大きさ がよくわかるであろう。
また労働協会は、労使の頂上団体によって構成 される民間の機関であるが、その協議の展開は福祉 労働関係の政策にも大きな影響を及ぼすため、政 府も強い関心を持ち、また様々な形で関与している。 前記の社会経済協議会が、主に立法活動に関する 諮問機関であり、その答申は内閣や議会に対し影 響力を発揮するのに対し、この労働協会は、賃金を はじめとする労使間の交渉事項を主に扱う機関であ り、ここで締結された合意は、オランダにおける労働 市場のゆくえ、ひいてはマクロ経済の展開に大きく 影響するといえる。
国際的に知られる「オランダモデル」のそもそもの 始まりも、この労働協会が舞台だった。1970年代、 二度にわたる石油危機と産業構造の再編を背景 に、失業とインフレ、財政支出の増大に悩まされたオランダでは、政府の強い要請のもと、労働協会に集 う労使頂上団体が、包括的な危機克服のための合 意を締結した。それが労働時間短縮と賃金抑制を 柱とした「ワセナール合意」(ワセナールは労使協議 が非公式に行われた都市の名)であり、以後のオラ ンダが経済停滞を脱したのは、このワセナール合意 によるところが大きいといわれている。
またメゾ(中間)レベルでも、労組のもつ影響力は 強い。オランダでは個別の産業ごとに締結された労 働協約について、担当大臣の発する「一般的拘束 力宣言」を通じて(労働協約の締結に関与しない企 業も含め)当該産業の全企業に拘束力を持たせる 制度があり、オランダの労働者の大部分はこの「一 般的拘束力宣言」の傘下にある。労働組合に参加 していなくとも、また労働組合が存在しない企業にお いても、労働者はひとしく労働協約の適用を受ける のであり、結果として、企業規模や業績による格差 の是正にも貢献している。
2.パートタイム労働の保護と「正規化」
しかし、オランダの労働組合について注目すべき は、このような法的・制度的枠組みに支えられつつ も、それに安住することなく、時代の変化に合わせ、 たえず改革の動きを進めてきたことだろう。実際、労 組を「既得権益」として位置づけ、批判する動きはし ばしば表面化してきたし、福祉労働政策の改革をめ ぐる阻害者として非難されてきたことも少なくない。 確かに、福祉改革をめぐる動きの中では、既得権益 の擁護ととられてもやむをえない場面もあった。しか し他方で、労組は多くの場合、最終的には時代の流 れを読んで、さまざまな改革を自ら進めてきた。前述の 「オランダモデル」にしても、経済危機の克服に寄与 しようとする労組の姿勢がなければ、実現できなかっ たであろう。このように、組織率は高くなくとも、労働 者を代表し、公共的に行動する存在として、オランダ の労働組合は広く認識されてきたのである。
近年では、オランダにおける先駆的な雇用・福祉 改革のうち、パートタイム労働者の待遇改善や、ワー ク・ライフ・バランスに関係する改革に注目が集まるこ とが多いが、実はその改革の隠れた主役は、やはり 労組である。
まずパートタイム労働について見てみよう。オランダ の社民系労組(F N V)は、1980年代まで、男性フル タイム労働者を標準労働者と考える発想に基づき、 女性のパートタイム労働を補助的労働と考え、その 拡大に批判的だった。しかし80年前後、産業構造の 再編を背景に工業部門で大規模なリストラが進む中 で、従来労組が基盤としてきた工業部門の男性フル タイム労働者層が減少の一途をたどり、このままでは 労組そのものが先細りすることは明らかとなった。増 え続ける女性のサービス業労働者、しかもその多くが パートタイムである労働者に対するアプローチを欠い たまま、労組は危機を迎えることになったのである。
このような状況の変化を受け、議論の末、1980年 代半ばの社民系労組は「男性・工業・フルタイム」を モデルとしてきた従来の方針を改め、「女性・サービ ス業・パートタイム」にも門戸を大きく開いた組織を 作っていく方向に転換する。これ以後社民系労組の 裾野は広がりを見せ、退潮傾向に歯止めをかけたば かりか、組合員数の増加をなしとげることができた。
しかしもちろん、単に女性のパートタイム労働者の 組織化を進めるだけでは意味がない。むしろ重要 だったことは、オランダの労組がパートタイム労働者を 組織に迎え入れるとともに、その権利擁護のために 積極的に活動したことであろう。彼らは産業別の労 使交渉、そして労働協会における頂上交渉などの場 でパートタイム労働者の待遇改善を重ねて要求し、実 現していった。また政策レベルでもパートタイム労働者 の保護は着実に進展し、1996年にはフルタイム・パー トタイム間の差別が禁止された。時間あたりの賃金を はじめとして、パートタイム労働者は、フルタイム労働者 と同等、あるいは均等の待遇を保障されたのである。 労働協約における合意事項は、労働時間に応じて パートタイム労働者にも均等に適用される。労組はも はや「正社員クラブ」ではなく、その獲得した成果は パートタイム労働者にも直接適用されるのである。組 合の組織率では、いまもなおフルタイム労働者のほう が高いものの、組合の活動の結果はパートタイム労働 者にも直接の影響を及ぼすのであり、パートタイム労 働者も無関心ではいられない。また今ではパートタイ ム労働者が昇進を果たすことは何ら珍しいものでは なく、サービス業の現場では、パートタイムの上司がパー トタイムの一般労働者を指揮するのも普通である。