(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明
注目されていた日本銀行の総裁人事が決定した。
故・安倍晋三元首相の看板政策である「アベノミクス」と連動した「異次元の金融緩和」を10年にわたって続けてきた、長期間在任の総裁の交代である。
2013年、日本銀行の総裁に就任した黒田東彦氏は、国債を大量に買い入れ市場に大量の資金を急激に供給する「異次元の金融緩和」をスタートさせた。デフレから脱却し、2年で2%の物価上昇を達成しようとしたのだ。
国債買い入れだけで成果が出ないと、16年にはマイナス金利政策や、中央銀行ではできないとされてきた、操作対象を長期金利まで広げるイールドカーブ・コントロール(YCC)などの異例の政策を相次いで導入した。それでも目標を実現できる見通しは立たず、緩和は長期化した。
確かに、低金利は企業の資金繰りを支え、円高が是正され輸出企業を中心に業績が改善、株価の上昇や失業率の低下につながった。一方で、実質賃金は停滞し、雇用の数は増えても質は改善せず、何よりも物価は上がらず様々な副作用が生じている。
円安もすべてにメリットがあるわけではない。一部のグローバル企業はプラスになるが、ほとんどの中小企業や家計にとってはマイナスとなる。現在、世界的なエネルギー価格や食料価格の高騰などが、円安により輸入インフレとなり、国内での物価高に拍車がかかり、国民の多くが生活が苦しくなったと感じている。
また、金利を抑えるため、国債を大量に買い入れてきたことが、超低金利で金融機関の収益を悪化させたほか、日銀が保有する国債は22年には発行残高の5割を超えるという異常な状態をまねいた。政府の財政規律の緩みは深刻だし、適正な金利水準がわからなくなるなど市場の歪みが増大している。
日本の政府債務残高の対GDP比率は世界最悪の水準となっている。今の状況で金利が上昇すれば、国債の利払いが増え、財政負担が跳ね上がって危険である。国債の購入を急減させれば市場を失った国債の信用が低下し、国内経済に深刻な打撃を与えかねない。
さらに、日銀は上場投資信託(ETF)を大量に購入し、株価を下支えしてきた。昨年11月末時点で50兆円を超え、日銀が事実上の大株主となっている事例も少なくない。今後、単純に市場に売却すれば、株価急落を招きかねない。
黒田総裁の後任に、経済学者で元日銀審議委員の植田和男氏が就任した。海外では珍しくないが、財務省か日銀の出身者が就任してきた総裁ポストに、戦後初めての学者起用だ。
新総裁には景気に配慮しつつ、政策の軌道修正を図ることが求められるが、難しい運営となる。異次元緩和の急激な転換には、長期金利の急騰や円急落、国債価格暴落の危険があり、日銀の信用は傷つき金融市場が混乱し、経済に打撃が及ぶおそれがあるからだ。これまで以上に、国民や市場に対しての真摯な対話が重要である。
「異次元の金融緩和」は「社会実験」だったという識者も多い。新しい総裁が就任したのを機に、これまでの政策のきめ細かな検証が必要だ。拙速を避け、黒田総裁時代の10年だけでなく、その前の20年も含めバブル崩壊後、30年を冷静に分析し、後世の政策判断に生きるような検証をしてもらいたい。それは失われた30年と言われる日本経済の再生にとって、不可欠なプロセスだと思う。
この10年を通じて再認識されたのは、深刻な構造問題を抱える日本経済には、金融緩和の効果は限られているということである。
政府と日銀の共同声明には、「経済構造の変革」「財政運営に対する信頼確保」も謳われている。政府や政党としがらみのない新総裁のもと、日銀も政府の経済・財政政策に積極的に意見を提起すべきである。
政府債務残高の正常化には、歳出削減や国民負担など、痛みを伴う出口となる可能性も十分にある。植田新総裁の政策運営に期待するとともに、その覚悟は私たち国民にも突きつけられている。
2023.4