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巻頭言 「ゴジラ–1.0」と故・阿部秀司さん

(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明

久しぶりに映画館に足を運んだ。観たのは「ゴジラ -1.0」。「ゴジラ」は 1954 年に第 1 作が公開された。
70 周年を記念した作品「ゴジラ -1.0」は、終戦前後の日本が舞台。戦後の東京に上陸したゴジラに、神木隆之介氏演じる元特攻隊員たちが立ち向かうヒューマンドラマを描く。監督は山崎貴氏だ。


この映画は、3 月 10 日(日本時間 3 月 11 日)に授賞式が行われた第 96 回米アカデミー賞で、アジア勢で初めての視覚効果賞を受賞した。映画の視覚効果は豊富な資金力と技術力が必要で、過去の視覚効果賞の受賞作は「スターウォーズ」「タイタニック」など SF やスペクタクルの大作が大半で、今回の候補作も巨額の制作費を投じたハリウッド作品が並んでいた。資金力の豊富なハリウッド映画が独壇場であった部門で受賞した意義は大きい。


米国では大作であれば制作費 1 億から 2 億ドル(約150 億から 300 億円)、VFX(ビジュアルエフェクト)に携わるアーティストは数百人から千人に上る。一方「ゴジラ -1.0」の製作費は、明らかになっていないが、米国映画大作の 10 分の 1 から 15 分の 1(約15 億~ 20 億円程度)とみられている。スタッフも山崎監督以下数十人しかいない。


日本独特のアナログ的で細やかな特撮手法と CG(コンピューターグラフィック)を融合しながらの創意工夫で、ハリウッドなみの高いクオリティの映像を制作した。今回の受賞はハリウッド映画に比べれば僅かな制作費で、巨額の予算を投じた大作に負けない迫力の映像を独自に作り出したことへの驚きと称賛の証といえる。そして、そこに新しい映画の可能性を発見したからだ。


全世界の興行収入も 160 億円を突破。北米でも大ヒットし、興行収入 5641 万ドル(約 83 億円)は、非英語の実写映画として年間 1 位、歴代でも 3 位だ。

ただ、私がこの映画を観に足を運んだのは、アカデミー賞の受賞作ということだけではなく、この映画のエグゼクティブ・プロデューサー・阿部秀司さんへ哀悼の意を捧げたかったからだ。私自身はお会いしたことはないが、阿部さんは知人の友人であり、彼の話は耳にしていた。


阿部さんは、1986 年に映像制作会社「ロボット」を設立。95 年に映画「Love Letter」でプロデューサーデビューした。その後、映画作成に着手するとともに、日本映画を担う人材の発掘・育成にも力を注いできた人だ。その 1 人が山崎監督で、デビュー作「ジョブナイル」をはじめ「ALWAYS 3丁目の夕日」「海賊とよばれた男」「DESTINY 鎌倉ものがたり」「アルキメデスの大戦」など、数多くのヒット作をプロデュースしてきた。


その知人が主催した勉強会での講演で、阿部さんは、優秀なプランナーは次々と出てくるが、映画の製作現場でモノづくりに励むスタッフ(「ALWAYS 3丁目の夕日」の場合約 100 名)のほとんどはフリーランスで労働条件も厳しく、高齢化が進み人手不足になっていくことに警鐘を鳴らされた。当時 69歳だった阿部さんは「今後10年間で興行収入を高め、制作現場に還元する仕組みを作りたい」と熱く語ったそうだ。そのことに共感し、是非一度お会いしたいと思っていたが、昨年 12 月に 74 歳でこの世を去った。


産業としての日本の映画界には、若手の活躍が欠かせない。しかし、制作現場の労働環境の改善や人材育成は、阿部さんが指摘したように進んでいない。
コンテンツ産業のみならず、これからの日本社会を築くためには、人材が最大の資源である。全ての分野で早急な実効性ある環境の整備が求められている。


アカデミー賞の授賞式。山崎監督が受賞の挨拶を「昨年失った我々のプロデューサー阿部秀司さんに言いたい。俺たちはやったよ!」で締めくくった。
また、帰国後のインタビューでは「羅針盤を失ったようなもの。大海に 1 人で投げ出された気分です」と語った。著しい活躍をした映画製作者を表彰する今年度の「第 43 回藤本賞」には、「ゴジラ -1.0」の制作陣 6 人が受賞した。4 月の授賞式には阿部さんの代わりにご長男の出席が報道された。安らかなるご冥福をお祈りしたい。

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