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巻頭言 「平和の祭典」としての意義が問われたパリ五輪

(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明

近代五輪の創設者・クーベルタン氏生誕の地・パリでオリンピックが8月に開催された。パリでの開催は100年ぶり3度目だ。国際オリンピック委員会(IOC)もこの地で誕生している。


開会式は夏季五輪で史上初めて競技場外で行われた。セーヌ川での入場行進はもとよりパリの中心街での、これまでとは一線を画す斬新な演出であった。新型コロナウイルス禍の中、無観客で抑圧された2021年の東京大会から3年を経て、選手たちの笑顔や人々の歓声が戻ってきたのが印象的だった。


エッフェル塔やベルサイユ宮殿、コンコルド広場など世界遺産も含めた舞台で、さまざまな競技が繰り広げられ、アスリートたちは私たちに勇気と大きな感動を与えてくれた。困難に立ち向かう努力と失敗しても諦めない精神力、日頃の厳しい鍛錬が、苦境を脱し大きな舞台で力を発揮できたに違いない。


日本も幅広い層の選手たちが、目覚ましい活躍を見せてくれた。金メダル20個を含む45個のメダル数は、海外で開催されたオリンピック史上最多だったという。印象に残る数々の選手や競技があるが、個人的にはチーム力を生かし何と92年ぶりのメダル獲得という快挙を成し遂げた総合馬術競技は印象深かった。メンバーの平均年齢は40歳を超え、自分たちで名付けたチームの愛称「初老ジャパン」は大きな話題となった。


一方でパリ五輪が直面した最大の懸念は国際社会の混迷だ。2年前、北京冬季五輪の「休戦期間中」にはじまったロシアのウクライナ侵略に、昨年のイスラエルのガザ地区侵攻。中東やウクライナでは今も戦火が絶えない。「平和の祭典」としての意義が問われる大会となったと言っても過言ではない。


クーベルタン男爵は19世紀末戦争で敗れた母国の若者を勇気づけるにはスポーツによる青少年教育が必要と考えた。相手を尊重し合うフェアプレーの精神が、世界の人々を結びつけるとの理想を抱き、スポーツによる平和運動を提唱した。それが五輪精神の原点である。


五輪憲章は政治的中立を謳い、今回も国連総会は「五輪休戦」を決議したがウクライナやガザ地区の戦闘は止まらず、状況は悪化の一途をたどった。大会期間中、イランではイスラム組織ハマスの指導者ハニヤ氏が暗殺され、中東の紛争はむしろ激しさを増した。「平和」や「友愛」という五輪の基本理念がかすむ現実を突きつけられた。


戦争は大会運営にも影を落とす。IOCはロシアとベラルーシの選手について、ウクライナ侵略を積極支持していないことなどを条件として個人資格での出場を認めたが、ウクライナは反発した。他方でイスラエルは制約を設けず参加が認められた。ロシアと異なる対応を取るIOCは「二重基準」と批判され、パレスチナからは直ちに排除すべきだとの声が上がった。また、大会にはアフガニスタンやシリアなど11カ国の出身者で作る「難民選手団」も参加した。難民が1億人以上に上る世界の窮状を映し出している。


それでも人々が五輪に惹かれるのは最高峰の舞台で、限界に挑むアスリートの姿に人間の可能性を見るからだ。そして国、人種、宗教の違いを超えて、互いを認め合う五輪の姿に、世界は一つになれるという思いを抱くからだろう。


「平和の祭典」を空疎なスローガン、理想に終わらせてはならない。そのあり方や意義を私たち自らが問い続けなければならない。五輪は競技において公平な競争を成立させるだけでなく、国際平和、人権意識や環境問題への貢献、多様性に満ちた差別のない社会の実現などを広げる使命を自ら負っている。


世界は緊迫の度を増している。いかに現実は異なっていても、五輪期間中に語られた選手たちの言葉は、人類は平和という理想を共有していることを、世界に改めて示した。もちろん複雑な思惑が絡む国際政治の中で、五輪が戦争を止められるとは思えない。しかし、だからこそ、これからも五輪の理念を求め続け、国際社会へ発信を続けなければならない。

2024.10

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