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巻頭言 袴田事件が問いかけた重い宿題

(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明

1966年といえば、私は中学生。それから58年。この長き年月の間、もちろん色々な悩みや困難にぶつかった時もあったが、自由に好きな場所に行き、友人たちと語り合い、好きなこともやってきた。一方、袴田巌さんは閉鎖された部屋で監視下に置かれ、いつ告げられるのかもわからない死刑執行の恐怖におびえる日々を過ごした。その時の流れを悼む。


1966年に静岡県で一家4人が犠牲になった放火殺人事件、いわゆる袴田事件だ。長時間に及ぶ過酷な取り調べ、「自白」の強要、事件から1年以上経過して見つかった「5点の衣類」。2014年3月、再審開始決定を静岡地裁が出し、袴田さんは48年ぶりに拘置所から釈放された。もちろん、死刑囚という立場のままだ。しかし、再審開始の決定後、検察が異議を申し立て、18年に東京高裁が決定を取り消した。その後昨年3月に再審開始は確定したが、決定から9年を要した。


再審の結果、今年9月26日に無罪判決が言い渡され、その後検察側が控訴しない方針を発表し、10月9日に袴田さんの無罪が確定した。長年拘束された影響で袴田さんは心を病み、釈放された後も周囲との意思疎通が難しい。切望した無罪判決を法廷で聞くことはできなかった。


初公判から一貫して「犯人ではない」と訴えていた袴田さん。人生の多くの年月を「容疑者」「被告」「死刑囚」として生きることを余儀なくされた。失われた人生は取り戻せない。この半世紀の間に司法が誤った判断を正し、救う機会はなかったのかと思わざるを得ない。


検察側は判決を「到底承服できない」としつつ、袴田さんが置かれた長く不安定な状況を踏まえて控訴しないとする談話を発表した。控訴断念は当然の判断だが、建前と組織擁護で袴田さんの人生を奪った罪を悔いる言葉もない。これまでの捜査や公判の対応を謙虚に反省すべきではないか、失望と怒りを覚える。


今回の事件は日本の刑事司法が抱えるさまざまな課題を改めて浮き彫りにした。人が担う裁判に完璧はない。人間には間違いがあることを前提に、再審制度は冤罪の被害者を救済するために設けられているが、数々の課題がある。


まず、事件発生から無罪判決まで、58年というあまりにも長い時間を費やしていることだ。今回も再審開始までに検察官の不服申し立てで9年もかかっている。また検察側は手持ちの証拠を弁護側に開示する義務がない。検察官の不服申し立ての禁止や再審段階での証拠開示制度など、再審制度の改正を急ぐ必要がある。


一方、判決も認めている通り、袴田さんは任意に出頭した日から自白する前日まで、深夜にわたる1日平均約12時間という、非人道的な取り調べを連日受けた。長期に長時間に及ぶ身体的拘束で、否認や黙秘している被疑者に自白を迫る状況は現在も存在するという。取り調べの適正化とそのための全面的な録音・録画、弁護人の取り調べ立ち会いなどの改革が急務だ。


そして、袴田事件は無実の人にも死刑判決が言い渡されるという、究極の人権侵害が現に存在することを改めて明らかにした。この事実を真摯に受けとめ、死刑制度そのものの見直しを検討する必要がある。死刑廃止は世界のすう勢だ。国際人権NGOによると、執行停止中も含めれば、昨年末時点で144ヵ国に上る。維持している国は中東やアジアを中心に少数派だ。


1980年代に死刑確定者が再審で無罪となる冤罪事件が4件もあるにも関わらず、これら重大な誤判の公的な検証結果は公表されていない。この15年でも、足利、布川、東電社員事件など無期刑の再審無罪が続いた。冤罪事件は決して過去のことではない。第三者委員会を立ち上げ、どのように再発防止や法改正をすべきかなどについて、改めて刑事手続き全体を見直す公的検証が不可欠である。


袴田さんを長年支えてきた91 歳になる姉の秀子さんの「巌の体を元に戻してほしいとは言わない。巌の拘束された48年間を生かしてほしい」との言葉を、社会全体が真摯に受けとめなければならない。

2024.12

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