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巻頭言 昨年秋の叙勲に際して

(公社)国際経済労働研究所 会長 古賀 伸明

明けましておめでとうございます。皆さま、それぞれに新春をお迎えになったことと、お慶び申し上げます。


私事で恐縮だが、昨年秋の叙勲において旭日大綬章を受章した。親授式は11月6日に行われた。


私は1975年に企業に入社し、3~4年後にちょっとしたキッカケで労働組合の活動に入った。当時は、もちろん人生の多くの時間を労働運動と関わっていくことなど、全く思いもしなかった。しかし以降、何かの縁としか表現できないが、企業別組合で23年、産業別組合で3年、そしてナショナルセンター・連合で10年と、36年に渡って運動・活動に携わってきた。連合総研も加えれば43年だ。


この間の運動の積み重ねが叙勲につながったことは、大変栄誉なことだと思う。ただ、この勲章は私個人がもらったものではない。一緒に運動・活動をともにした仲間、ご支援いただいた後輩・同僚、ご指導いただいた先輩、そしてそれぞれの運動に関わっていただいた多くの皆さんを代表してもらったものだ。


1996年から2015年まで約20年間は、企業別組合、産業別組合、連合の第一線でリーダーを務めた。ちょうどその時期は、いわゆる「失われた30年」と重なる。バブル崩壊後、日本は短期的には景気が上向くこともあったが、全体としては景気の停滞が続いた。1995年には、1ドルが80円を割り込む超円高の状態となり、輸出産業が大きな打撃を受け全体の景気低迷につながった。


1997年には、山一證券が自主廃業、北海道拓殖銀行といった著名な企業が経営破綻に次々と陥る。2000年代に入ると世界的ITの需要が高まり、2000年代半ばには一時的にITバブルを引き起こしたが、2008年には米国・大手証券会社のリーマン・ブラザーズが経営破綻に陥るリーマンショックが起こり、米国に端を発した世界同時不況に陥った。


2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件や、2011年3月11日の東日本大震災など、国内外でも大きな出来事が重なった。政治の世界では、2009年、2012年の2度の政権交代も経験した。


このような環境の中、その時々でリーダーとしての判断や決断はあったが、運動は一人ではできない。多くの仲間が力と知恵を合わせることによって遂行できたことを、今振り返ってもつくづく感じる。


したがって、勲章は一定期間手元に置かせていただくが、その後は叙勲の事務局を担っていただいた電機連合にお渡ししたいと思っている。お返ししたいと言った方が適切かもしれない。何故一定期間私の手元に置いておくかというと、私の知人・友人には変な人間も多く、「お祝いの会をしてやるので、一度も見たことのない勲章を持ってくるのが条件だ」などとうそぶく輩がいるからだ。


いずれにしても、叙勲に際してさまざまなご尽力をいただいた、パナソニックグループ労連、電機連合、連合、関連組織の皆様に、心より感謝したい。また関連の組織や関連各位から、何十年もお会いしていない人からも含めて、多くのお祝いのメッセージなどが届いた。加えて既にさまざまな方々からお祝いの場も持っていただいている。この場をお借りして心よりお礼申し上げたい。


「生と死は不可分で表裏一体」を説き、人間の生命を最重視する価値観の中で、死を切り離して地球環境を壊してでも安全で快適な暮らしを求め続ける、そんな世の中に警鐘を鳴らす宗教哲学者の山折哲雄さんが、70歳代の生き方として「食べ過ぎない、飲み過ぎない、そして人と会い過ぎない」の三原則を提唱している。


これらのことも心しながら、微力ではあるがこれからも時代の変化を的確に捉え、難しい時代での次のステージのために、さまざまな課題に自分なりに挑戦していきたいと思っている。皆さま方の引き続きのご指導・ご支援をお願い申し上げる。


新しい年が皆さまにとって実り多い年になりますことを心より祈念申し上げます。

2025.1

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