振り返れば、人生の転機となった出会いがある。一つは中高生の頃。中3の進路面談で就職を希望した。母一人子一人の母子家庭。「一人で生きていけるようになれ」というのが口癖だった母の影響もあっただろう。だが、それ以上に大の勉強嫌いだった。意に反して、教師たちから寄ってたかって高校進学を説得された。この成績ならどこの高校に行けるとか、公立高校なら学費も安いとか。その中で「学歴社会やからな。中卒より就職の幅が広がるで」、これが琴線に触れた。社会科教師の一言だった。その3年後、高3になった私は当然ながら大学進学など頭になかったが、とある場所で2年生のときの担任教師にばったり会う。「お前、心理学って知ってるか?」これが心理学との出会いだった。その教師は大学で聴講中だと言い、お前に向いていると勧められた。それがきっかけとなり、一転して大学へ。かくして今、社会心理研究事業部にいる。
もう一つの転機は40代前後。母が大病を患い、介護が始まった。結局16年続いたが、当初は情報がなく、介護認定の申請さえ苦労した。日々仕事との両立は厳しく、破綻しかけたとき、母の入院先で一人の看護師が各方面に働きかけて下さり、介護認定が下りた。次に転院した病院では事務局長が自ら退院後の介護施設を探し歩いて下さった。その施設で出会ったケアマネージャーもまた私の暮らしぶりを丁寧に聞き、それに合う多機能型施設を見つけ出して下さった。善意の数珠つなぎのお陰で、私は仕事を続けることができた。
学校教師も、医療・介護従事者も、自分の仕事をしただけだと言うかもしれない。とはいえ、本気で親身になり、動いてくれたのが伝わってきた。経労研らしく言うと、「内発的に働く」ということだろう。それは同時に、接する人々の人生に関与することでもある。それで人生が変わるということを、身をもって経験した私はそんなふうに働くことができるだろうか。その問いがいつも心にある。
研究員 佐々木 祥子 |