「予言の自己成就」。ON・I・ON2(第30回共同調査)参加組織の方には耳なじみのある言葉かもしれない。人々が予言を信じて行動するために、結果的にその予言が成就するさまを、社会学者のロバート・マートンが理論化したものだ。私には、この言葉から思い出す光景がある。
――小学生のころ、私は祖父母宅で、菓子盆に入ったいかり豆やきらず揚げを食べるのが日課だった。ビールのアテのような菓子を頬ばる私を見て、よく祖母は忌々しげにこう言った。「千愛は、将来酒飲みになる」。そんな私は今や晩酌の欠かせない酒飲みとなり、ビール腹が悩みである(運動不足や食べ過ぎのせいでもある)。今でもこう思う。祖母が「千愛は下戸になる」と言ってくれていれば、私は酒を敬遠し、ビール腹と疎遠だったのではないかと。
ところで最近、私が縛られているのは「予言の自己成就」だけではないのだと、気づく出来事があった。私は苦手な食べ物がなく、下味のついている食べ物には調味料をかけないことがこだわりである。たとえばコロッケにソースをかけるのは味の上塗りであり、邪道であると思っていた。そんなある日、私は中濃ソースの処分に悩み、思い切ってコロッケにかけてみることにした。味が濃いだろうなと思いつつソースコロッケを口にして、そのおいしさに驚いた。「ソースが、重たいコロッケを軽くしている。衣の油を、ソースの酸味が中和しているのだ」。そして気づいた。「苦手な食べ物はないと思い込んでいたが、ソースは避けていたではないか」。
自分自身好き嫌いがないと思い込むことで、私は気づかぬうちに食わず嫌いをし、未知なる味への道を閉ざしていたのだ。おそらく、「苦手な食べ物がないのはいいことだ」という考えも、自分の目を曇らせていたのだろう。「こうであらねばならぬ」という無意識の信じ込みに気づくことが、最近の私の課題だと感じる。
研究員 景山 千愛