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社会支出30年の軌跡と日本の位置づけ ―OECD:Social Expenditure Surveyを中心に―
楊 慧敏
(県立広島大学保健福祉学科 助教・大阪公立大学都市科学・防災研究センター 客員研究員)
孫 琳
(同志社大学大学院社会福祉学専攻博士後期課程・大阪公立大学都市科学・防災研究センター 客員研究員)
埋橋 孝文(同志社大学名誉教授 大阪公立大学客員教授)
介護サービスの質の評価をめぐる政策の課題
石田 慎二(帝塚山大学教育学部こども教育学科 教授)
福祉サービス供給主体間における「サービスの質」の相違に関する研究 ―訪問介護事業の実態分析を通して―
孫 琳
(同志社大学大学院社会福祉学専攻博士後期課程・大阪公立大学都市科学・防災研究センター 客員研究員)
特集の趣旨
同志社大学名誉教授・大阪公立大学客員教授 埋橋 孝文
1. はじめに
今号では、特集「福祉サービスのマクロ/メゾ/ミクロ分析」のもと、3編の論稿を収録している。これらの論稿は、科研国際共同研究強化(B)「福祉サービスの質と政策評価-東アジア3ヵ国(日本・韓国・中国)を中心に」(研究代表者・田中聡子県立広島大学教授、22KK0024、2022年~2026年、以下、国際科研(B)という)の中間成果の一環として執筆されたものである。
ここでは最初にこの国際科研(B)の概要を簡単に紹介し、その後、3編の論文の概要を簡単に紹介する。
2.科研国際共同研究強化(B)「福祉サービスの質と政策評価」
1)出発点としての福祉国家の国際比較研究
今回の科研プロジェクトは、筆者が1990年から20年間ほど携わっていた「福祉国家の国際比較研究」と次の2点において密接な関係をもつ。
まず第1に、埋橋(2011、pp.17-19)、埋橋(2022、pp.28-30)は、一般にわが国における国際比較研究は、キャッチアップの問題意識から始まり、自らの位置づけや特徴をめぐる「自省」の段階を経て、次には政策論議に貢献する方向に進むことを期待される、と主張した。
エスピン‐アンデルセン(邦訳2001)の「三つの世界」とそれをベースにした日本の位置づけの検討(「保守主義と自由主義の混合(ハイブリッド)モデル」)は上記の第2段階すなわち「自省」の段階にあるといってよい。その次は「豊富な海外の事例、動向やその長所、短所を認識しながら、また、国際比較という鏡に映る自国の姿を見ながら、今後の針路に関する政策論議に貢献するという役割をこれまで以上に期待される」(埋橋2011、p.19)。政策論議は、政策の規範や思想、政策形成、政策実施およびそのガバナンス、政策評価などを含むが、国際科研(B)はそのうち政策評価に焦点をあてている。社会保障や福祉の場合、特定の政策が導入されるまでは議論が盛んであるが、導入後の成果はどのようなものか、どのような点で改善が必要か、などの評価研究が手薄となっている(埋橋2022、pp.17-21)ことが、政策評価にフォーカスした理由である。
第2に、従来の福祉国家の国際比較研究では、「脱商品化」指標をはじめとして、社会支出の内もっぱら現金給付に注目して各国のビヘイビアを比較検討してきた。それは、もう一つの社会支出であるサービス給付を問題にする際には「サービスの質」を併せて検討することが不可欠であるが、それが難しいという事情があったためである。そのため、サービス支出額という形で貨幣換算した指標を用いているが、近年、OECD諸国でその割合が増えている。つまり、北欧や英米諸国および日本では現金支出よりもサービス支出は金額的に増えている。サービス支出で大きなものは保健・医療、介護、保育サービスであるが、これらの国では、サービス支出が年金や児童手当、生活保護などの現金支出よりも大きく、OECD平均でもその割合は増えつつある。このように量的に増えつつあるサービス支出であるが、その中身、つまり“質”に注目した社会科学的な分析が必要とされている。
2)マクロ、メゾ、ミクロでの検討課題
上の2つの課題をマクロ、メゾ、ミクロという3つの分野に分けて検討していく。
マクロ面では、プログラム理論にもとづいて現実の政策評価を試みると、目的やアウトカムが掲げられているがそれを達成するためのインプット、プロセスやアウトプットが不明なもの、逆にアウトカムや目的が不明なものが往々にしてみられる。また指標が設定されていない場合がある。それらを指摘することには、政策をより科学的なものにし、税金を有効に活用する点で価値がある。
なお、もっとも科学的とされるRCT(Randomized Controlled Trial,ランダム化比較試験)は、費用と時間の面からマクロの「政策」評価には不向きである。そのため今回の科研プロジェクトではそれを採用しない。その一方で、RCTを用いない場合、どうしても外生要因(外部要因)の影響を分離できないことになる。その結果、「折り合いをつけながら」(埋橋2022、p.28)周辺情報、状況証拠から因果関係の確定に取り組まざるをえない。
具体的には、少子化対策、子どもの貧困対策、高齢社会対策、母子家庭等自立支援対策、自殺総合対策、過労死対策ほかについてプログラム理論を援用して政策評価を試みる。併せて克服されなければならないことについて指摘し、改善に向けての提案をする予定である。
また、従来の政策論にあっては「課題」をめぐっての解決策の提示が重視されつつも、なぜそうした課題が生起しているか、現状がいかなる文脈の下、どのような要因によって形成されてきたかなどについての「因果関係」的な解明が不十分であった。今回の科研プロジェクトではこうした点に配慮し、課題が生起してくる原因を解明したうえで改善の方向を打ち出す予定である。
メゾ面では、①福祉サービスに関する評価レジーム、②地域福祉という2つの視点から分析する。
「福祉サービスに関する評価レジーム」は、マクロの国際比較分析とミクロの福祉サービスの質研究の中間に位置し、両者を繋ぐ「結節環」である。日本の福祉サービスへの「第三者評価制度」をめぐっては、受審率がごく低いなど問題が山積みである。2つの目的(①サービスの質の向上と②利用者の選択に資する)に照らして「評価制度を評価する」必要がある。
もう一つのメゾ領域である地域福祉の検討では、3府県計9市町村の地域福祉計画と地域福祉活動計画を取り上げて、プログラム評価論の見地から検討する。
ミクロ面では、mixed methodを通して福祉サービスの質を分析する。具体的には、<福祉施設・団体への聞き取り調査>、<既存ミクロデータの多変量解析>、<福祉施設・団体へのアンケート調査>を通して、以下の3点を明らかにする。① 福祉サービスの種類(高齢、児童、障害、施設と在宅)によってサービスの目的、プロセス、アウトカムの違いはあるか。
② 各種福祉サービスのアウトカム指標はどうあるべきか。
③ 福祉サービスの質の構成要素相互の関係はどうなっているか(ドナベディアン、「構造」、「過程(プロセス)」、「アウトカム」相互の関係を多変量解析で明らかにする)。
上の①、②、③を通して、福祉サービスの質、とりわけ、アウトカムを引き上げるためにはどうすればいいかを明らかにする。
3)アジアを視野に入れて
本プロジェクトの分担研究者には韓国、中国出身者が多数含まれており(韓国9名、中国7名)、サブタイトルにあるような東アジア3ヵ国それぞれの地域研究および比較研究が可能である。たとえば「東北アジアと東南アジアの研究者は日本の社会保障・福祉をどうみているか」などの問題を検討する。このことを明らかにすることは、①日本の社会保障・福祉の理解に寄与する点があり、また、②アジアの研究者はそれぞれの国での今後の社会保障・福祉の方向をどう考えているかを浮き彫りにする。
3. 特集3論稿について
楊・孫・埋橋の第1論稿「社会支出30年の軌跡と日本の位置づけ」は、マクロ面からの政策分析を試みている。上でもふれたエスピン‐アンデルセン(2001)が鮮やかに描いた「三つの世界」が30年後にどのように変化したのかを明らかにし、併せて、日本を取り巻く人口学的特徴とセーフティネットの特徴を国際比較的に明らかにすることを目的としている。
そこでは、失業率と社会支出という福祉国家の存立基盤に関わる2つの指標からみた各国の配置は、「三つの世界」時の配置とはかなり様相を異にし、それらを区別する境界線はかなり曖昧化してきたということが明らかにされる。ただし、所得再分配政策をめぐる一種の「階層化」指標からみると「三つの世界」論は現在でも当てはまるものがあり、また、サービス支出をめぐる彼の分析もなおあてはまる。日本を取り巻く人口学的環境は人口オーナス(負担)が大きくなりつつあり、厳しさを増している。その中でも国際比較的にみて低位にある社会手当(家族関連と住宅関連)の充実が急務であることが示される。
石田の第2論稿「介護サービスの質の評価をめぐる政策の課題」は、福祉サービスの質の評価に対する関心が高まり、研究もある程度蓄積されてきたにもかかわらず、いくつかの解明されるべき点が残されていることを指摘する。
すなわち、第1に、第三者評価制度にあっては、「評価基準が、都道府県によって取り扱いが異なり、全国統一の仕組みとなっていない」。第2に、「利用者評価は利用者の主観的な評価であるため」、それで介護サービスの質を客観的に評価することは難しい。また、「介護サービス情報公開制度」は、質を構成する「『構造』に関する情報に限られ、それ以外の『過程』『結果』に関する情報はほとんど得ることができない」などの限界がある。「科学的介護情報システム」でも「過程」の評価指標や方法で課題がある。
石田論稿は上のような検討を経て、第1に、ドナべディアンのいう「結果」の指標を明確にし、第2に、それを踏まえて、「構造」「過程」「結果」相互の関係を明らかにしていくことが必要であると結論づけている。慎重な検討を重ねた上で得られた重要な結論といえよう。
孫の第3論稿「福祉サービス供給主体間における『サービスの質』の相違に関する研究― 訪問介護事業の実態分析を通して―」は、まず最初に「サービスの質」の向上に関する政策動向を整理し、第三者評価や自己評価などの制度が整えられてきたもののサービスの質に関する定義づけが行われていないことを指摘する。次いで先行研究の検討を行い、その上で、「アウトカム(結果、成果)」の側面から「サービスの質」を客観的に捉えることが難しく、「ストラクチャー(構造)」や「プロセス(過程)」の側面から、「サービスの質」をより客観的に捉えることが可能であるとしている。
実証部分については、福祉サービス供給主体の法人格によって、訪問介護サービスの質に差があるかどうかを明らかにするため、F検定(一元配置分散分析)を行っている。その結果、「訪問介護員等の中、常勤の割合や有資格(介護福祉士)者の割合に着目すれば、医療法人の割合は最も高いことが明確になり、社会福祉法人やNPO法人、営利法人よりもサービスの質が高いと言えるであろう」という結論を得ている。興味深いファクトファインディングといえよう。孫論稿は全国的な既存データを用いた実証分析であること、非営利事業者のなかでの異なる法人格を分析していることなどの特徴がある。
参考文献
埋橋孝文(1997)『現代福祉国家の国際比較-日本モデルの位置づけと展望』日本評論社
埋橋孝文(2011)『福祉政策の国際動向と日本の選択-ポスト「三つの世界」論』法律文化社
埋橋孝文編著(2022)『福祉政策研究入門 政策評価と指標 第1巻-少子高齢化のなかの福祉政策』明石書店
エスピン-アンデルセン(2001、原著は1990年)『福祉資本主義の三つの世界-比較福祉国家の理論と動態』ミネルヴァ書房