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【全4回】 鈴木研究員による朝ドラ "虎に翼" コラム <4>

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研究所のダイバーシティ&インクルージョン研究の立ち上げメンバーでもある鈴木研究員に虎に翼はどうみえたのか? "トラつばコラム"最終回です。

 

  

最終回 寅子たちが生きた地獄の先に春をみる

 

 「虎に翼」の放送が終了した。寅子が高等試験に合格した時の会見シーンが私の中で最高潮だと思っていたけれど、最後、桂場が寅子たちのような女性が特別だった時代は終わったのだと発言した後、寅子の「いつの時代にも私たちのような女性はごまんといた。時代がそれを許さず、特別にしただけ」というセリフを聞いて、私は泣きながらエンディングを見届けることとなった。

 「時代が特別にした」という寅子のセリフは、当研究所が意識調査を行う際にとる立場、社会構成主義に通ずる。社会構成主義とはものごとのとらえ方・考え方の一つであり、心理学者のガーゲンらによると「そこにいる人たちが、“そうだ”と“合意”して初めて、それは“リアルになる”」のである(Gergen & Gergen, 2004, 伊藤守ら(訳), 2018)※。

 

※Gergen & Gergen (2004) Social Construction: Entering the Dialogue. Taos Institute Publications. (伊藤守(監訳), 二宮美樹(翻訳統括)(2018) 『現実はいつも対話から生まれる』 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

 

 社会構成主義によれば、人がどういう存在であるかも、社会の中での相互作用によって決定される。私自身、そうした考えを頭では理解しつつも、それを(ドラマのセリフとはいえ)寅子自身の存在として実感として発されたことで、何だか自分の「自分とは何か」といったことへの解像度の低さを思い知ったような気がして泣けてきたのだ。そして、私はできれば地獄では生きたくないし、ちょっと批判されるとしばらく落ち込むし、人としてまだまだだなぁと思う。

 

 さて、ドラマの放送開始当初、SNSで「現代の価値観を持つ女性がタイムスリップしたようで違和感がある」といったようなネガティヴなトーンの投稿を見かけた。現代では、ジェンダー平等、セクハラ、ダイバーシティなど、性別やセクシュアリティに関連する様々な用語が一般的に使われ、それまで問題だと認識されてこなかった、または個人的なこととして公には扱われてこなかったことも、多くの人にとって「問題」として認識されるようになった部分はある。戦争前後と現在を比べるとその社会的風潮は変わってきているだろうと想像できる。けれど、寅子のような価値観を持つ女性はそんなに少なかったのだろうか?

 

 労働組合に目を向けると、日本最初の労働組合婦人部は1916(大正5)年創立の友愛会婦人部とされている(伍賀, 2014)※。虎に翼のモデルとなった三淵(旧姓武藤)嘉子が2歳の頃である。伍賀(2014)の『敗戦直後を切り拓いた働く女性たち』では、戦後すぐ女性たちによる自主的な呼びかけ・取り組みで結成された「大阪勤労婦人聯盟(以下、勤婦連)」の女性リーダーたちの記録がまとめられている。敗戦後、労働組合結成の気運が高まった背景には、当時のインフレと飢餓への生活苦が考えられるが、女性たちにおいては、戦争にかり出された男性たちの穴を埋めるため労働を強いられた後、“進駐軍が入ってきたら貞操が危ない”を理由に「辞表」を強制させられ、“兵士が戻ってくるから”と大量の首切りにさらされる状況にもあった。「女の職場は女で守らなあかん」(桂あやこ)など、当時の日本社会の男女をとりまく歪な状況下での女性たちの戦いの記録である。


※伍賀偕子(2014)敗戦直後を切り拓いた働く女性たち: 「勤労婦人聯盟」と「きらく会」の絆 付論/「労働組合婦人部」をめぐる変遷 ドメス出版

 このように、寅子たちのような法曹界でなくとも、戦前・戦後にも自分たちが置かれる状況の不平等さや理不尽さに憤りを感じ、起ち上がった女性たちはいる。また、伍賀(2014)の著書では、勤労婦人だけでなく家庭婦人を中心とした婦人団体とも協力していた点は勤婦連の特徴であるとされている。私の第2回のコラムでは、「寅子と花江が同志という感じがしない」と書いたが、ドラマが進むにつれて、寅子と花江の連帯のような関係性が明確になっていったように思う。

 

 男女という性別二分論、また労働界での性差別や家庭における家父長的抑圧が今以上に色濃くあったと考えると、職場や家庭どちらにおいても「女性」として生きることで共有できるものが今以上にあったのかもしれない。そうした意味では、寅子と花江のような勤労婦人と家庭婦人との協力は私が想像する以上にあたり前のように存在していたのかもしれない。

 

 「女性」をとりまく社会状況は変わっていく。何をもって「女性」なのか、その定義すら現在は曖昧であり状況によって何が適切なのかも変わる。戦後の勤労婦人や家庭婦人が「女性」という共通点で連帯できたのは、それぞれに置かれている不遇な状況を「女性」という言葉で共有できたからだと思う。現在、「女性」という言葉で共有できることはそんなに沢山あるのだろうか。

 

 非暴力ルーム・大阪(NOVO)の伊田広行氏※は、ジェンダー平等を進めるために、カップル(家族)単位からシングル単位へ社会を変えていくことを提唱している。男性、女性、それ以外の性別や性自認も含めて、それぞれのカテゴリ―の中にも多様性がある。男性の中にも格差はあり、女性の中にも格差がある、男女以外の中にも。日本の従来の男女を基本とした様々な制度ではフォローしきれていない人たちがたくさんいる。もう限界が見えてきていると伊田氏は主張する。


※著書に「シングル単位の社会論ージェンダーフリーな社会へ」(1998年)世界思想ゼミナール、など。

 私自身、ジェンダー平等の実現に向けて「女性」としての視点や「女性」をとりまく課題を考えることはまだまだ重要であるとも考えているが、「女性」という言葉を、何かジェンダーをとりまく共通の課題を共有できる言葉として使うことは難しくなってきているとも思う。寅子たちの生きた「女性」と、現在私が生きる「女性」は全然違う。シングル単位の見方や、性別を問わず課題を共有できるところを探し多くの人が連帯することがますます重要になってきていると思う。

 

 当研究所でもダイバーシティ&インクルージョンの研究チームを立ち上げた。ダイバーシティなどに取り組むことは企業や組織で当然になりつつあるが、一方で反発を招いたり形骸化している懸念もある。そうした中で労働組合は何ができるのか、何をしていかなければいけないのか、改めて見つめていこうとしている。まだまだ日々奮闘。私は地獄では生きたくないから、地獄を少しでも良いところに変えていきたいなと思っている。


鈴木研究員

大学の非常勤講師なども兼任しながら国際経済労働研究所の研究員として働いています。研究分野は社会心理学。大学の卒業論文からこれまでの間、同性愛者に対する偏見や差別はなぜ起こり維持されてしまうのかということを心理的な側面から考えてきました。このテーマに関してはいろいろな議論がありますが、私が特に注目してきたのは、社会の大多数を占める異性愛者が同性愛者に対して否定的態度を示す背景には、ジェンダーに関わる意識が良くも悪くも影響を与えているだろうということです。現在は、ジェンダーに関わることやセクシュアリティに関わることも含めて、ダイバーシティ&インクルージョンの実現に向けて社会心理学の切り口からアプローチするべく日々奮闘しています。
筆者  :鈴木 文子
所属  :公益社団法人国際経済労働研究所 研究員
学位  :博士(文学)(2023年3月大阪公立大学)
主要論文:鈴木・池上(2020)「カミングアウトによる態度変容―ジェンダー自尊心の調整効果―」心理学研究,91,235-245.
 
ダイバーシティ&インクルージョンの出張講演(トライアル)を行います!
 

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