労働調査運動とは、「自立的な運動のために必要な調査・研究を、労働組合自らが担う」という運動です。
世の中に情報があふれる時代だからこそ、会社や政府、調査会社などに任せるのではなく、自分たちで担うということが大切です。
国際経済労働研究所は、結成時から労働組合とともに調査運動を実践し、そのセンターとしての役割を果たしています。
多くの方にとって、「運動」は身近なものではないかもしれません。しかし、皆さんの周りにも様々な形で「運動」は広がっています。
たとえば、生活協同組合(CO・OP)。
これは、消費者一人ひとりがお金(出資金)を出し合って組合員となり、協同で運営・利用する組織であり、自分たちの安全・安心を守るために協同するという、運動といえます。
このほか、はたらく人のための協同組織の金融機関である「ろうきん(労働金庫)」、公共メディアとして“いつでも、どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化をあまねく伝える”ことを役割として担う、NHK(日本放送協会)も、運動の例だといえます。
当研究所は、前身となる関西労働調査会議(1948年結成)以降、労働調査研究所(1961年)、国際経済労働研究所(1993年)と歴史を重ねながら、一貫して労働調査運動を実践してきました。
労働者の地位向上や処遇改善に向けた取り組みのため、組合員が給与明細を持ち寄り方眼紙にプロットして賃金カーブを検討する、といった運動から始まり、現在では、「労働組合への帰属意識」「働きがい」「企業の制度・施策」「政治意識」など、様々なテーマで深化しています。
1948年
関西労働調査会議結成
労働組合が産別や単組を超えて理論生計費や賃金などの政策にかかわる調査研究を必要とするようになり、自立的な労働運動のための調査研究機関として共同で設立された。
関西労働調査会議のほか、時期は異なるものの首都圏の労働調査協議会、九州の九州産業労働科学研究所など同様の趣旨の研究機関が設立された。
「調査なくして運動なし」という考え方のもと、
・調査なくして発言なし!
・調査なくして闘争なし!
・闘う調査を確立しよう!
をスローガンに掲げ積極的に活動を展開。
1953年
労働調査会議(東京)と機関誌『労働調査時報』の共同発行(〜 1966年)
1961年
労働調査研究所発足
会議体ではなく、主体性をもつ独立機関、シンクタンクあるいは研究所として自立したものでなければならず、また関西の政
策研究や調査に積極的なリーダーの間で研究交流の要望が高まった。これを背景に関西労働調査会議を発展的に解消することとなり、労働調査研究所が発足。企業(資本)からも政党からも独立した、自立的な労働組合運動に基づく自立的労働組合主
義を確立した。61年7月の設立後ただちに労働省に「社団法人」格を申請し、4年後に認可された。
○研究所発足に伴う新事業
労調研セミナー、調査学校、労調研組合学校、賃金専門家ゼミナールなど精力的に開催。
組合・活動家向けのポケットブック学習シリーズ(月刊)である労調研シリーズも発刊。
1970年代
〜
1980年代
運動の長期展望と公共政策への関わりを強める
70年に入り、高度経済成長により日本の国際的地位は高まり、高賃金の時代を迎えた。オイルショック以降、減速経済への転換とともに生活防衛や将来不安とあいまって、高齢化問題や福祉政策への関心が高まり、長期政策問題が課題となった。1976年には研究所創立15周年を迎え、この間、研究分野とクライアントは全国的に拡大した。
<取り組みの例>
・賃金の長期政策の策定と賃金政策の再構築
・意識調査
創立15周年記念で呼びかけた組合員意識共同調査は3万人が参加して各界の注目を浴び、その後の定期的な共同調査への道を開いた。
・市民アンケートの実施と都市問題調査の拡大公共政策との関わりで、地方自治体の政策の科学化への協力として、行政各分野での調査や政策立案にも多く参加。中でも、神戸市から委託された全世帯アンケートの開発は世界的にも画期的なものであった。
労働戦線の統一に向けて
労働組合の間でも、日本全体を統括する労働戦線統一への動きが活発となり、それに焦点をあてた調査や特集を研究所が行うことで労働戦線統一をリードしていた。
のちの労働戦線統一の動きに先駆け、1969年に大阪で地方民間労組連絡協議会が発足し、1970年に全民懇が結成されるなど、関西を中心に運動が活発化した。研究所では、実践的立場を重視し労働組合の共同行動強化に向けた提言を3度にわたって発表した。機関誌でも労働戦線の統一を目指した運動を調査・特集し、板東所長と宝樹文彦氏の労働戦線統一についての対談
(1981年5・6月号)等も収録されている。
1990年
第30回共同調査「組織への参加関与と働きがい」(ON・I・ON2)
定点観測すべき指標として「満足」ではなく組合への「関与」を提唱。「ON・I・ON2」のもう一つの柱である「働きがい」は、その指標をモティベーションの概念に忠実に定義し、手法は労使、さらに海外へと展開。経年で参加する調査として定着し、2022年現在、本共同調査の参加組織人員240万人を超える。
1993年
国際経済労働研究所へと組織改編
機関誌名を『労働調査時報』から『Int’lecowk−国際経済労働研究』へと改める。
2005年
第42回共同調査「海外日系企業 ワーク・モティベーション調査」
海外の労働者向け意識調査。日系企業の海外現地法人では、その国の従業員の習慣や文化を尊重しつつ、いかに彼らの労働意欲を高めるかに頭を悩ませている経営者が少なくない。そのため現地従業員の意識構造を明らかにし、彼らの労働意欲向上にとって必要な施策を考案することを目指し開始された。マレーシアから始まった本調査は、8カ国に翻訳され、中国、タイ、ベトナム、フィリピンなどアジア全域に広がっている。
東南アジアではDURIAN、中国ではPANDAの略称を用いている。
2006年
クアラルンプールに駐在員事務所を設置
2011年
労働調査研究所の設立から50周年を迎える
在京オルグ委員会立ち上げ
2012年
東京に連絡事務所を設置
創立50周年記念式典を開催
2013年
公益社団法人に移行
2015年
労働政治研究事業部設立
第49回共同調査「企業制度・施策に関する組織調査」発信
2016年
第50回共同調査(2016年参議院選挙)共同調査 発信
2019年
第51回共同調査(2019年参議院選挙)共同調査 発信
2021年
第52回共同調査「労働組合組織と機能」パイロット版発信
第54回共同調査(第49回衆議院議員選挙)政治意識調査 発信
2022年
第55回共同調査(第26回参議院議員選挙)政治意識調査 発信
2023年
関西労働調査会議結成から75周年を記念し、記念企画を開催
第55回共同調査(第26回参議院議員選挙)政治意識調査 発信
※より詳細な内容や、労働運動の動き、研究所資料なども掲載した内容については、こちらのPDFをご覧ください。
国際経済労働研究所名誉顧問・板東 慧 が、永年にわたって、労働運動、労働調査運動に携わってきた立場から、当研究所の歴史的経緯および、労働調査運動の意義についてまとめています。研究所機関誌『Int’lecowk―国際経済労働研究』2021年1月号に収録されています。